着飾りなど必要ない


俺はこの目の前の寂しげな背中を見て何度、自分が鯱に生まれたという運命を呪っただろう。


彼は生まれた時から人間で、俺は生まれた時から鯱だった。
それは今でもこれから先もずっと変わらず、彼の魔力でさえもそれに近い姿には変えられるというだけで、完璧な力など持ってはいない。
当たり前…というか、本当に馬鹿らしい話ではあるのだが、俺は少しでも人間になれたならなんて絵空事を夢見ていて。
出来なければせめて彼の魔力で姿を変えられた今の姿だけでも人の形になれればいいとさえ思うのだ。だからそうやって考える度に俺は少し鉄火マキを羨ましく思う。



足はなくとも人の形に一番近い姿をしているのは彼女だ。
水から出ることが出来なくとも彼と同じ薄い赤みがかった黄色い膜で身体が被われているのは彼女だ。
人間と同じ、俺や一角のような哺乳類でもない魚類であっても細やかな細い糸が絡んだような赤い髪を持っているのは彼女だ。
彼女自身は俺達のように外を歩くことが出来る足を欲しがるが、俺は館長と同じ脆くとも強い“人”という生き物の身体の方が欲しい。このような、尻尾以外には海で生活しているのと変わらないこの姿では彼との距離が遠すぎる。どうしたって近付けない、彼と俺を遮る壁は壊れることなどけしてないのだ。




「サカマタ」





廊下の端から彼が俺を呼ぶ声がした。ハッとして声が聴こえた方を見ると、どうやら俺は知らぬ間に足を止めていたらしい。俺がいる場所はまだ廊下の半分もいっておらず、彼との距離は遠く離れていた。伊佐奈はこの場所から見ても分かるように眉間に皺を寄せ、視線で早く来いと俺を急かしていた。彼が着ている灰色のマントの裾がひらりひらりと揺れる。まさかこの狭い廊下でそれを使うとは思えないが、彼のことだ。使い兼ねない。
俺は急ぎ足で廊下を抜け、彼の横に着くと深々と頭を下げた。頭を下げたその拍子に彼のズボンから覗く細い足首を瞳の中に捉え、思わず一瞬息が詰まった。


「…っ、すみません。少し考え事を、していました」
「……」



俺が発した言葉は彼の返事を待たずに空気に交じって消え、返事の代わりにゆらりと彼の影が揺れた。目をつむり、身体に来るであろう衝撃に身を固くして身構える。
スーッと息を吐く音。それと共に吐き出された息が風となって俺の頭部をふわりと撫で、低い彼の心地好い声が反響する。


「…構えを解け、シャチ。そんなことくらいで叩くほど俺は短気じゃない」
「は」



身体から力を抜いて顔をあげると腕組みをして少し呆れた顔した彼の姿が視界を占領する。少し彼から目線を逸らす。やはり真正面向き合うというのはなんだか目のやり場に困る。右の首筋なんかは特に。あぁ、人間に欲情なんて。食物連鎖の頂点である俺がそんなこと。しかしすると言っても館長に限って、だ。他の奴がここにいたらきっとしない。そして彼以外にこの名のつけがたい感情を抱くこともきっと、ない。



「それにお前は…って、聴いてるのかシャチ」
「あ、はい」



彼の深く黒い瞳に俺の姿が映りこむ。そして俺の映った瞳を細め、訝しげにジッと見た。見つめられる視線に身体が疼く。しかし先程のように目線を逸らそうにも、離れない。彼のもそうだが、自身のそれも彼から離れようとしなかった。少しの沈黙が流れ、先に口を開いたのは伊佐奈。俺の視界の中心に位置する彼は、まったく…とわざとらしい深い溜息をつく。さっきまでプールに沈んでいたために湿っていた彼の髪が風に揺られてさらりと靡く。


「…まぁいい。今日は調子が悪いってことにして許してやる」


ただ…と発した伊佐奈の舌が口内に消えるのと同時に強い力で腕を引かれ、バランスを崩す。床を踏み締めてなんとか伊佐奈に倒れ込まずに済んだものの、腕はまだ彼によって掴まれたままであり、体勢が立て直すことが出来なかった。




「…っあの、館長」
「離れるな」
「は…」


ぱちりと瞬きをすると、彼は少し不安げに俺を見てギュッと腕に絡ませた手に力を込めた。



「俺のこと以外考えるな。ここにいろ」



そうして伊佐奈はいいな、と呟き、俺の腕から手を離して何事もなかったかのように再び歩き出した。その背中は少しまだ寂しげではあるけれど、俺がけして無力ではない、ということを伝えてくれているような気がした。




あぁ、俺は彼女のように人間の黄褐色の肌もサラサラとした髪もないけれど
そんな俺でも貴方が愛してくれるなら
それで




着飾りなど必要ない
(貴方がいて私がいる。そして二人で作る世界があれば、他には何もなくていい)



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