I cannot wipe the tears even if you cry.


「なぁシャチ」




(俺は何か間違えたかな)






これまでの集客率データをまとめた書類を読み上げていたサカマタは、館長の言葉に思わず言葉を切った。
奇妙なほど静まり返っている館長室に外部からの音は一切入らないが、窓の外からナイトアクアリウムの光が見え始めた所からするに、あと30分ほどでショーだというのは分かっていた、が。

堅苦しい文字が並んだ数枚の紙面から顔をあげると、そこには窓の縁に左足をのせ、その膝に左の腕を置いたまま外を見つめる館長の姿が目に映った。
彼の表情をこちらからは確認することは出来ないが、その背中はどうしようもなく寂しそうだった。
そしてそんな彼を見ていたら、なぜだか急に心臓のあたりがキリキリと痛くなる。
あまりの苦しさに俺は、このあとのショーのことなど考えないまま彼の背中に声をかける。


「間違えた、とは」
「そのままの意味だよ」


今まで俺がしてきたこと全部

「間違ってることばっかなのかもなって」


そう思ったんだ

そう言って振り返った彼の顔が切なそうに歪む。
胸が、先程よりも激しく痛む。
その痛さの意味を、俺は知っている。
長年抱いてる想いだ。
嫌でもいい加減に気付く。
だけど、それでも俺は知らない振りをする。
彼はきっと、俺の同情なんて求めてはいない。
それにこの想いなど、伝えたところで意味を成さないことは俺自身が一番よく分かっている。
所詮二足歩行の海獣と、化物の姿をした人間。
交わることなど、出来やしない。


館長は再び俺に背を向けて窓の外に目線を向ける。遠くの方では海の水が月、はたまた人口の光によってゆらゆらと揺らめき、輝いている。
俺にとっての懐かしい場所。
しかし彼にとっては苦悩の地獄。
…そんな地獄を見つめて、一体貴方は何を思っているんですか。




スーッと彼が息を深く吸う音。
音が消えたかと思うと、館長はそれを全て吐き出すようにして言葉を紡ぐ。
「俺はさ、人間に戻ったら何もかも元に戻ると思っていたんだ。
地位、金、権力。
俺が人間だった時と同じ物が手に入ると思っていた。
そして…化け物なんて言われない、あの頃に戻れると思っていた。」


だからこんな必至になって、水族館の人気を集めてスポンサーの前で媚び売って。
あんな金づるの前でそんなことしてたのは俺が早く人間に戻るためだ。



「だけどな、シャチ」



彼の掌が、顔の左半分を隠すヘルメットに触れる。



「人間に戻れば戻るほど、俺は化け物になっていくんだ」



俺は、“人間”に戻りたいのに


震えた語尾の言葉。
途切れた息の音。
小刻みに揺れる身体。


あぁ、


今すぐ貴方に駆け寄りその身体を抱きしめられたなら
俺に、それほどの勇気があったなら
俺が貴方と同じ人間という生物であったなら
貴方は、





もう一人で悲しまなくていいのに




俺にはそれが、


出来ない



「…もういい。一人にしてくれ」






何の言葉も発さずジッとしていると、館長は嗚咽まじりの声でそう呟き、小さくうずくまった。

俺は手の中の書類を彼のデスクに置き、そのまま一礼して館長室の出入口に足を向けた。
バタン と派手な音を出して館長室の扉が閉まる。
ちらっと腕時計を確認。
あともう少しでショーの時間だ。今日は俺も出る。急がなければならない。

だが。



「…ッ」


部屋の中から微かに聞こえる鼻を啜る音。
漏れる声。
哀しそうに吐かれる息の根。

きっと今、目から零れ落ちるそれを一人で拭っているだろう彼のことを思うと俺は、
すぐにそこを動くなんてことが出来る気がしなかった。


俺は小さな溜息をつき、閉まった扉に背を預けて目を閉じた。
瞼の裏に映る貴方の残像さえ、俺は笑顔にさせることが出来ないのか と思ったら。
自分の不甲斐無さにどうしようもなく泣きたくなった。

貴方が泣いても私はきっと涙を拭えない
(こんなにも無力な私を、どうか許して)



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