もはや無意味




これがいつか見た悪夢なら、
俺がいるはずの現実はどんなに幸せなんやろか








不治の病。
俺が患ったんは、そんな途方もないもんやった

原因不明、治療不可、寿命は長くて5年。
そんな絶望的な言葉をつらつらと目の前の白衣の医師が言葉を吐く中で俺の頭ん中に回ったんは、ただただ貴方の行く末だけやった。

(貴方がその背に和尚の意思を背負った立派なお姿を見るまで、俺は生きてられへんのやなぁ)



しかし、そうは言っても意外に言葉の程ほどの動揺もなかった。
寺に帰ればいつものように笑えたし、職務かてなんなくこなせた。
あとの5年もこんな何でもない日を毎日過ごして俺は死ぬんかなと思ったら少し寂しい気もするけど、誰に何を言うつもりもなかった。
余計な心配させたなかった、これからずっと気を使われて過ごすのは堪えられへんから。


(だからこれでえぇねん)


病のことなんて忘れるくらいに平凡な日がここにあってくれれば。


「柔造」


俺は自室に帰ろうとしていた足を止め、声の方に振り返る。その顔を見て、思わず自然と笑みが零れる。

「坊!どないしよったんです、こんな夜中に」
「いや…明日はそんなゆっくり出来んし…挨拶しに、な」


挨拶と言われて思わずおやすみなさいといいそうになった口を閉じ、今日の日付を思い出す。皮肉にも、思い出したのはあの無機質な白い部屋のカレンダーのおかげや。


「あぁ!もうそないな日でしたっけ。なんや…言うてくれればご馳走いっぱい作って送り出したんに」
「阿呆か。餓鬼じゃあるまいし。…それにそないなことせんでも祓魔師なったらすぐ帰ってくるんやから」


"すぐ"
そうですねと笑う片隅で坊の言ったその言葉が引っ掛かる。
その"すぐ"に
きっと俺はいない



「…柔造、どないしたんや」
「え…」

じわりと坊の温もりが頬に滲みる。
いつの間にか落ちていた視線を上げれば、いつも以上に深く刻まれた眉間の皺が目に入る。
坊、と呼ぼうとした声が彼の声に掻き消される。


「…なんで、そないに泣きそうな顔しとんのや」

坊の腕が俺の肩を抱く。俺にはそんなことを言う坊の方が泣きそうに見えたが、きっと今の俺の心境にして俺もそれなりの顔をしとるだろうとも思った。
鼻孔を擽るのは、昔俺が抱っこしていた時のような優しい香りではなく、随分とすっきりとした男の匂いだった。
大きくなったんやな、それできっとこれからもっと大きくなるんやろうな。
俺はその成長を、
見れないんやろうけれど



「柔造…俺、な」


坊の声が真剣味を帯びる。
あかんと思った。
これを聴いたら、もう後戻りもなんも出来んと思うた。
俺は力の限りに坊の胸元を押して密着していた身体を離す。目の先の困惑している純粋な瞳に、己の破顔した顔を映してみせた。


「何言うてはるんですか。柔造は、いつもと同じですえ。
…ほなら坊、また明日。坊も明日出発なんやからはよ寝なあかんですよ。」
「待ッ…柔造!!」



後ろから俺を呼ぶ声。
縋るような、何とも言えない声。
何度も立ち止まりかける自身の身体に鞭打ち、俺は廊下を真っ直ぐ進む。





「ふ、…っく」


漏れるのは己の声。
膝から崩れ落ち、口元を抑えてうずくまる。


苦しい。
貴方の笑顔を想うのも、貴方の泣き顔を想うのも。
でも俺はもうじきこの世の輪廻に帰るんや。
それは、貴方の知らない遠いところ。
貴方のいない、遠い世界。


けれど、坊
本当は




「坊っ、柔造はまだ…死にとぅありません…坊、俺は、俺…は」



貴方と同じこの世界で





「貴方が好きです…」





貴方と共に生きたい




もはや無意味
(そんな願いも虚しく、きっと俺は貴方に何も言わず目を閉じるのでしょう)
(まるで来世に見る幸せな夢に、落ちるかのように安らかに)



企画「君に夢見てる」様に提出させていただきました。

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