全てが君を否定しても、


ひどく鈍い痛みが、頬に落ちる。舌の上に鉄の味が広がるのを感じて眉をしかめ、よろめいて崩れた体勢を立て直すと同時に俺は右手を振り被った。ドゴォという先程よりも大きな音を発した俺の拳は何の傷だってないはずなのに、俺には自分が重ねた罪で汚れてみえた。コンクリートの地面に転がった男は下に赤い唾を吐きながら俺を凄い形相で睨み、掠れた声で悪態をつく。




「ッンの…悪魔め…ッ」
「なんだよ。さっきからそれだけど、お前もしかしてそれしか言えねぇの?」
「…ッ!!」


そう言ってハッと鼻で笑ってやれば、頬の腫れたその男は額に青筋立てて俺の胸倉を掴んで被りを振った。俺が思わず反射的に目を閉じるとその瞬間に耳朶に響いた錆ついた金属音。そして気付く。嗚呼、またあいつはここに来たのかと。


「お前らなにしとんねん…ッ!」


屋上の重い錆ついた扉が閉じる音と共に聞き慣れた訛り。胸倉の圧迫感が緩み、俺が次に目を開けた時に目に入ったのは、頭部の一部を染め上げ耳にピアスを開けた、見た感じ柄の悪い男だった。


「勝…ッ」
「喋るな。…手当したるから見してみぃ。」

名を呼ぼうとすると切れた口内が痛んだ。勝呂はそんな俺の頬に手を添えてそっと触れる。俺は痛みを感じながらも、黙って勝呂の言う通り腕を出して傷を見せる。

「…まぁたお前は派手にやりおったな。なんでこないになるまでやり合うんや」
「…だって別にすぐ治るし、それにこんくらい痛くねぇ…ッ痛てェ!イテテテ!」
「そないなくだらんことを言う口はこの口か?えぇ?」

勝呂の手が俺の頬を摘む。きっと怪我した方じゃないのは勝呂の優しさだけどそれにしても痛い。俺はすいませんと素直に謝って大人しく勝呂に怪我の手当てをして貰う。俺は地面に胡坐をかいて座り、右手を勝呂に向かって突き出す。勝呂はその手首をきゅっと掴んで空いている片手で救急箱を引き寄せた。俺は少しずつ回復していく傷口を見つめ、目を閉じる。




(でも勝呂、この傷がすぐ治るのはホントだよ)

だって俺は悪魔だから。こうやって毎日のように絡まれて喧嘩したってその日のうちに傷なんて治る。何もしなくたって化膿なんかしないし痛みだってしない。なくなる。その出来事がまるでなかったかのように消えてなくなる。

(だけど、)

「少し滲みるから我慢しぃや。」


勝呂はそういいながら持ってきた水を俺の傷口にかける。俺は歯を食いしばって痛みに耐えながら勝呂の顔を見つめる。



それでも勝呂はこうやって助けに来てくれる。救急箱を持って駆け付けてくれる。
嬉しいんだ。だけどその想いと同じくらい不安なんだ。
俺は傷口にガーゼを当てる勝呂から目を離して空笑いする。なんやと如何にも不機嫌そうな声が聴こえて俺はいや、勝呂馬鹿だなと思ってと答えた。そして目の前の眉間の皺が増えるのを見つめながら溜息を吐くよう口を開く。


「ほんと、馬鹿だよなぁ勝呂は。…俺なんか、構わなくたっていいのに」


ガーゼを止めるテープを延ばした勝呂の手の動きが止まった。俺は何もしないでジッとその手を見つめる。温かくて優しい手。俺はその手に触れられるのが好きだった。何故だか安心する。勝呂の手にはなにも力なんてないんだろうけど、それでも。

勝呂は無言のままテープをガーゼに張り付けハサミを持つ。チョキンと金属の擦れ合う音が聞こえてから、ガーゼの上から傷を撫でられながら、別にと勝呂は目を伏せる。俺は顔を上げて勝呂を見た。


「…別にお前んためにやっとるんやない。…ただ、」

ふと、視線が合う。目を見開いて瞬きを数回すると最後に薄く口角を上げて笑う勝呂の顔に目が釘付けになった。勝呂の唇が音を発する。


「お前見とると、助けてやりたくなる。…ただそんだけや。」


ずきり
胸の奥が痛む。キリキリと軋るように大きな音が聴こえる。じわじわと苦しくなる。声が詰まりそうになりながら、俺は小さく息を吐いて笑う。



「…本当に、勝呂は馬鹿だよ」
「……」
「…馬鹿、だ」
「…奥村」


俺は、
愛なんて知らない。
愛され方なんかもっと知らない。


だって必要なかった。
俺にはそんなのいらなかった。


だから誰に何言われたって何の問題なかった。
この世界の嫌われ役に最適なんじゃないかと自分でも思ってた。
だって分かってたから。
俺がいて哀しむ人はいるけど、笑ってくれる人なんていないこと。


でも、でも。

お前はそんな俺を知ってもなんのことはないようにそこにいるんだ。ただ純粋に俺に手を差し延べてくれるんだ。俺が誰なのかなんて関係なしに、そうやって笑って。


「なぁ、勝呂」
「ん?」
「俺、」
お前のその手、取ってもいいのかな。
取ったら俺、お前みたいに綺麗に笑えるのかな。
ねぇそしたら、

「俺、愛してもらえるかな…?」










「…阿呆。お前は俺に愛されとるやろ。」




だからえぇんや。







何がいいのかなんて正直解らなかった。どうやってそんな優しい顔をつくれるのかなんて知らなかった。
だけどこの身体に染み込む暖かさはそんな俺の全てをいいよって赦してくれるみたいで。
俺はその温もりに、
そっと額を擦りつけた。




全てが君を否定しても、僕は君を抱きしめる

(他の奴らなんて全然気にせんくてえぇ)
(俺がこうやってお前の傍にずっといるってことだけ、それだけ分かっとればそれでえぇんや)




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