花びらふわり飛んできた


「シャチ。外に行こう」


彼は書類の提出に来た俺を見るや否やそんなことを言い出した。
彼の口から紡がれた言葉に思わず手の中にある紙から顔をあげると、先程まで机の前に大人しく座っていた彼の身体がいつの間にか自分の目の前へ移動していて一瞬身を引きそうになる。が、その衝動にはどうにか堪え、俺は高揚した気分を落ち着かせた上で口を開いた。

「…外、ですか」
「そう外。…なんだ、なんか文句でもあるような顔だな」
「いえ、そんなことはないですよ」

口ではそう言ったものの、正直勝手に一人で行ってくれというのが本心だ。さっき行ったショーで俺が出る今日の演目は終わったから一応は今フリーの状態である。しかし俺の仕事はそれだけでは終わらない。始めた時よりは少なくなった、と言っても俺の机ではあの大量の書類の山(主に目の前の奇人のせい)が今だ絶え間無く連なっている。
しかもそれを単に終わらせるだけではない。その書類全てを今週中に片付けなければならないのだ。今のペースでも間に合うか危うい書類の山を一緒に手伝ってくれる訳でもなしに、自分勝手にそんなことを言う館長へ一瞬怒りを覚えるが、そんな俺の心の内など知ったこっちゃないのでだろう。彼は平気な顔で俺の返事を待っている。
まぁ、その表情から肯定の返事しか受け付けないという無言の圧力が読み取れることから、結局彼は俺の答など聴く気はないことが読み取れた。
…もし否定したならその時俺は即行で地獄送りだ。
それは避けたい。
まだ自分は命が惜しいし、こんなくだらないことで死ぬなんて馬鹿げている。
…まぁもしも、本当にもしも肯定と否定のどちらを取ってもいいと言われたって、結局は彼の手をこうやって俺は取るのだろうが。

「ん、じゃ行くか」

彼の嬉しそうな声が耳の鼓膜を通り抜けて頭の中に響く。その甘い空気になんだかむず痒くなりながら、俺は今日の残業を覚悟の上で彼と繋がりを持ったまま、外へと足を踏み出した。








外の空気は春の温暖な気候通りぽかぽかと暖かかった。海の近くにしてはそんなに潮風もなく、寒さは少しも感じられない。心地好い、外を散策するには丁度良い気温だった。
そんな暖かな空気の中を、館長と俺は二人、地面をゆっくりと踏み締め、歩いていた。しかしそれは並んで、ではなく、俺は手を彼と繋げていながらも彼の歩く少し後ろをついていくようにして歩いていた。俺が歩く少し前に鯨の厚い皮膚を思わせるコートをはおった館長背中があり、俺はその小さながら色んなもの背負ってきたであろうそれに触れようと、思わず重力に従って宙ぶらりんとしている左手を少しだけ動かした。


(最初は、こんな距離じゃなかったのだ)



彼はもっと、もっと遠くにいて。背中なんて見えやしなかった。彼の姿さえも瞳の中に映らなかった。ただ俺の前には彼に向かう道しかなく、自分の気持ちに気付いた時にはもうそれさえも消えかけていた。駆け足で彼を追っても少しだって近付いている気がしなくて。求めるたびに彼の存在が霞んでいたから。
諦めかけた。失速して、もう駄目だと走るのを止めそうになった。

…だけど、


「…サカマタ?」


貴方は今、こうやっていつの間にか俺のすぐ傍にいる。いつからなのかは忘れたが、貴方は今、俺の隣にいる。それは誰がなんと言おうとも、紛れの無い本当の話で。
俺はそれがとても、



「なんて顔してんだよ」
「…っ」




彼がそう呟いて俺に振り向くと、自然と身体が向かい合わせになった。彼の手が俺の手から離れ、その代わりにそれは俺の肩に置かれた。その掌から掛かる重さと共に彼の顔が段々と近付く。それから想像されることに俺は思わずギュッと目をつむり、次に起こるであろう出来事を瞼の裏側で見る。
…しかし、


ふわり
自分の肩にかけられていた重力が片方外れ、その温もりが頭に触れた。思いがけないことに驚いて目を開けると、彼は何か小さな薄いひらひらとしたものを親指と人差し指の間に挟んでいた。
興味深げに俺がそれを見つめていると、彼は俺の目の前にそれを突き出し呟いた。


「頭に花びらがついていた」
「え、あ…それ、だけ…?」
「それだけ」



それを聞いて無意識に落胆したが、悟られないようにとすぐに元の表情を作り直す。しかし感の鋭い彼はそんな俺の一瞬の変化を見て、何かを察したかのように口角をあげ、スッと目を細めた。


「何変な期待してんだ」
「そ、そんなこと…っ」


ギクリと心の内で大きな音が鳴り、彼には聴こえていないことを知りながらも、サッと目の前の彼から目を逸らす。黒い肌の御蔭でバレはしないが、もしこの肌さえ人間のものと同じならば真っ赤に染まっていたことであろう。目を閉じ、あぁどうしようと思っていたところに彼が俺の名を小さな、しかし確かな声で呟いた。無視をする訳にもいかずゆっくりと瞼をあげると、思っていた場所よりもすぐ近くに彼の顔があり、何か言うより先にそのまま唇に吸い付くようにキスをされた。
驚きで彼が俺から離れた瞬間後ずさる。


今の、って…


片手で口元を覆いながら先程されたことを思い出し、それが先程想像してしまった代物であることが段々とはっきりしてくると一人顔が紅くなった。顔が燃えるように熱くなる。

「な、な」
「お望み通り、だろ?」


そんな慌てふためく俺に対して余裕な表情の彼は、クスクスと笑いながら落ちたヘルメットを拾う。少しの間しかそこになかったはずのそれは、頭上からひらひらと落ちるピンク色の小さな薄片を被っていた。彼は拾ってもなおその金属を付けようとはせず、それを腕に抱えて上を見上げた。責める言葉を吐き出すよりも、彼のその綺麗な横顔に見とれてしまうことを回避するために口を噤み、彼に続くように俺も視線を頭上に向けた。

そこにあったのは大きな大きな桜の木だった。大きな太い幹を地面から出し、枝を延ばしたその先には鮮やかな桜の花。水族館の敷地内にあるそれはずっと昔からここにあるように確かな存在感を出し、ふわりふわりと花を散らせて花弁を空中に舞い踊らせている。
そんな人間の世界で見る自然の壮大さに小さな感動を覚えていると、突如ギュッと自分の手を握られる感触が掌を伝った。ひらりと頭上を舞うそれから一旦目を離して下を見ると、案の定愛しき恋人がそこにはいた。彼は俺とは目を合わせず、今だに絶え間無くふわりふわりと浮かぶ桜から目線を離さないまま、穏やかな口調で言葉を紡いだ。


「またお前とこうやってさ、同じ桜を見れたら幸せだな」


そう呟いて俺のと自分の視線を絡ませて彼は少し寂しそうに、でも嬉しそうに笑った。俺はそんな彼と繋がっている手を強く握り、無意味で、けれどこれからも変わらないであろう明白な願いをただただ心中で呟くのだった。



花びらふわり飛んできた
(次の年もそのまた次の年も、この季節を貴方と共にいられますように)





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