僕を手折ればいい
俺が人間に恋したなんて言ったら昔の仲間はなんと言うだろう
冗談は寝て言えと笑うだろうか
それとも不審がるか、はたまた馬鹿にした嘲笑されるだろうか
何にしろ、応援してくれる奴などは一人もいないだろう
その前に「止めておけ」だとか「釣り合う関係じゃない」だとか言って俺のことを止めようとするだろう
だがそんなこと分かりきった上での気持ちなんだから誰になんと言われたって止めるつもりなど毛頭ない
もしそのせいで、仲間から見放されて一人になったとしても
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「お前はもっと賢いと思っていたがな、蟹」
ぶくりと横の水槽から魚が泡を吐き出す音と彼の言葉が交じり、泡のそれだけが水の中で弾けて消える。それとは対に通路に反響した彼のそれをどこにあるかも分からない自身の耳朶に入れ、硬い甲羅の中で俺はギシギシと音を立てて笑った。俺に背中を向けていた彼が俺が発した音に灰色のマントを靡かせ、なんだといいたげに眉をしかめて振り向いた。嗚呼、まったく一々色っぽい仕草をすることだ。
「アンタが振り向いてくれさえするなら、俺は馬鹿にもなりますよ」
「使えもしない馬鹿な奴には興味がないな」
「ギシギシッ!!それは困りましたね。それなら今のままなら見込みはあるってことですか」
「さぁどうだかな」
伊佐奈は至極興味もなさそうにそう吐いて再び歩みを前へと進めた。遠くなる後ろ姿に、俺は慌ててその後を追う。
嗚呼、でもアンタを好きになるなんて本当に馬鹿みたいに愚かなことだな
(しかもよりにもよってアンタなんだ)
ただの人間が好きな訳じゃない。アンタのどこに惹かれたかなんて自分でも分からないが、とにかく伊佐奈というこのどうしようもない人間に惚れてしまったのは他でもない、この自分だ。
(本当に神サマは余計なことをしてくれたもんだ)
叶うはずもない、こんな等閑な恋などを俺にさせようと仕向けるなんて。
(何のために、なんて理由もなく)
(きっと神の暇潰しかなんかに踊らさられてるだけなんだろうが)
きっとそれがなくなっても俺は、アンタが
「なぁドーラク」
カツリと硬いその音が少し前方で止まったその時、彼が珍しく周りが付けたこの場限りの俺の名前を呼んだのが聴こえた。
思わずハッとして目を見開き彼を見ると、まるで俺の反応を始めから察していたかのように薄い笑みをうかべていた。
相変わらずの馬鹿にしたような見下しているかのようなそんな笑顔だ。だがなんだろう、それなのに少しもいらつかない不思議である。
「なんです?」
「お前は俺が好きだと言ったな」
「…はぁ」
「お前のもんになってやってもいいよ、俺は」
「はぁ……、って」
(へ?)
声にならない声が出た。目の前の暴君は相変わらずの冷笑で俺の表情を伺い、ゆっくりとした滑らかな動作でこちらに向かってくる。無意識に小さく後ずさった。そんな俺に彼は顔に刻まれたそれをより一層深くして笑う。「まぁだけど、お前にそれが出来るもんなら、な」
カツリと再び俺の前で消えた音に強張らせて縮めていた身体をあげようとすれば、いきなり前脚を思い切り前に引かれた。チュと音をたてて離れたのは額の辺りに触れた柔らかい弾力のある唇の感触。一瞬の驚愕、その体勢から無理矢理に彼へと視線を合わせれば、そこにあったのは綺麗に彩られたのデススマイル。その色の薄い口唇が笑みを零しながら開く。
「俺はそう簡単にお前みたいな雑魚の求愛でなんか落ちたりしてやらない。だから」
(奪ってみろよ。この身体ごと)
「そして俺を満たしてみろ、ドーラク」
そう言って俺を嘲笑ったアンタの笑顔さえ俺にとっては甘い媚薬みたいだ、なんてよ。
(相当毒されてるよ、本当にさ)
僕を手折ればいい(そう言うくせに甘い顔もするんだもんなぁ)
(ほんとアンタには参っちまうよ)