四つ葉のクローバー


「これを見つけたら幸せになるらしい」

そう言って館長が俺に差し出したのは、4つの葉が中心部でくっついた、どこにでもあるような植物だった。

綺麗だというわけでもなく、何か目を引く特別な色だというわけでもなく。
ただ単に、普段3枚しかないその葉が1枚多いというだけだ。
その偶然を幸せと勘違いする人間というのは、本当に不思議な生物である。
いやいや、今は大事なのはそんな疑問ではない。
サカマタは渡されたその葉っぱから視線をあげ、無表情のまま立っている目の前の男を見た。そのどこか虚ろな瞳とかちりと目が合い、それと同時に館長は ん?と片方の眉をあげた。

「これは…どうしたんですか?」
「あの兎男が持って来た」
「あぁ」

外に出てゆくことをあまりよしとしない伊佐奈がどうしてそんなものをと思ったが、その一言で納得がいった。彼ならばそんなくだらないような不思議なことを伊佐奈が興味を持つようにあることないこと引っ付けて話をわざわざしに来そうだ。

(しかし、そうか。あの園長はまた来たのか)

俺は伊佐奈に気づかれないように小さく小さく溜息をついた。
あの騒動後、逢摩ヶ刻動物園の園長はあんな多大な被害をこちら側に与えておきながら、何食わぬ顔でよくこの水族館の敷居を跨いで通って来るようになった。
初めはあんなにもいがみ合う仲だったというのに、いつの間に俺の知らない間に仲良くなっていたのだろう。他の幹部達や雑魚達がどうかは分からないが…少なくとも俺はその経緯(いきさつ)を知らない。
俺は、知らない。


「シャチ」



彼の喉が俺の呼び名を呟いて震える。
その声に、俺の手の中に小さく存在を主張するそれを思わず握り潰しそうになった手の力が反射的に緩んだ。強い屋外の風に当たり、掌の上で右、左へと揺れるその葉は、俺が少し動くだけでふわりと飛んでいってしまいそうである。俺はその葉の茎の部分をそっと掴み、館長に差し出した。

「…申し訳ございません」
「………」


すっと彼の手が動き、俺の指からその葉が消える。俺の手よりもか細く、繊細でや綺麗な癖に低い温度のその指が俺の肌に触れ、思わずはっと息を飲む。視線の先にはただただしきりにその何でもないような葉を見つめる館長がいて、俺の胸は何故か酷く疼き、苦しげな音がなった。
貴方は今誰のことを考えているのですか。
いつものようにこの水族館のことですか。
それとも…あの寂れた動物園にいる兎の園長のことですか。
貴方の脳内にはあの兎がいるんですか。
あの兎と幸せそうに笑う貴方がそこにはいるんですか。
そしたら俺は、この想いをどうしたらいいんですか?


考えれば考えるほど深く深くに埋没していく。汚い嫉妬の念が胸中を渦巻き、色濃く広がる。貴方のことしか考えられない。
貴方も、俺だけを見てくれたらなんて。
あぁ、全くこれは相当の重症だなと自分を嘲笑う。価値観など全くもって違うのに、人間の貴方にこのような感情は必要ないはずなのに。おかしい、貴方を好きでたまらない自分が確かにここにいる。


カツリ
彼の踵を鳴らした靴音がする。
彼がこの場から離れた音にしては大きなその音に俺はふと彼を見て目を凝らす。彼は同じ場所に変わらず立っていた。ただ違うのは、その目の視線が下へと向いている、とことだけだ。
まさか、と思った。しかしそれは当たり前のように、俺の脳内をよぎったことと同じであって、俺は慌てて館長を制す。
その足の下には、無残なまでに形を崩した先ほどの幸せになれる葉とやらが床にすり潰されてそこにあった。一体何故、と彼の方へと目を向けると、その真っ黒な瞳が俺を真っ直ぐと捉えた。光の見えない漆黒の、それでいて美しい水晶がふと細められ、俺の頬に触れる。

「あの葉は、滅多に見れないと。珍しいのだと、椎名が言っていた。俺はいらないと言ったが、それなら大事な奴にでもあげればいいと言ったんだ。だからお前に見せてやりたいと、出来ればお前にやろうと、そう思った」

いつもは落ち着いている館長の声。
透き通ったその声が今は少しだけ不安げで、思わず頬に触れたその手を上から包むようにして握ると、彼はゆっくり目を閉じ、でも、と口を開いた。「お前が喜ばない幸せなら、俺には意味がないんだ。だからもうあれはいらない」

代わりに俺がお前のこと幸せにしてやる

彼のその言葉に思わず息が止まる。
愛おしい我が暴君は、純粋な笑顔でそう言い放ち、俺に背を向けた。
その背を見てしまった俺は、自分はもうこの人から一生離れることはないだろう と瞬間的に悟ったのだった。



四つ葉のクローバー
(貴方が俺を幸せにしてくださるならば、貴方の幸せは俺が守ると誓いましょう)





Back



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -