「おっはー!随分と遅い登校アルな!」


人通り賑やかな廊下を歩いているとバッシイイインという大きな効果音と共に友人の神楽ちゃんが現れた。相変わらずの馬鹿力は今日も健全のようで、叩かれた背中がひりひりと痛んだ。これ絶対背中に真っ赤な手形できてるよ。痛みに耐えながら「ちょっと寝坊しちゃってさ」とありきたりな言い訳をする。そんな言い訳は彼女に通じるわけもないのだが。


「寝坊にも程があるアル。もう昼ネ」
「夜更かししたら…こんなことに」
「考え事でもしてたアルか?」


無邪気に首を傾げた神楽ちゃんとあの男の顔が重なった。可愛い可愛い神楽ちゃんとあの野郎が重なって見えるなんて、きっと私はまだ寝ぼけているんだ。昨日のおぞましい出来事を思い出して心の中で項垂れた。それにしても昨日は本当に散々な日だった。只休日の街をぶらぶらしていただけなのにあんな変態にラブホに連れられ、処女かと聞かれ、DVD観賞という名の嫌がらせを受けるなんて。どんだけ運が悪いんだ昨日の私。幸い「俺処女には興味ないから御礼はAVで我慢してね☆」という男の言葉で私の操は無事なのだが。流石に無理矢理犯されていたら今頃警察署に飛び込んでいった筈だ。後が怖いという理由で昨日のことを誰にも言っていない私は自分でも馬鹿だと思う。相手の思う壺じゃないか。


「おーい、聞いてるアルか?」
「え、ああ、うん。聞いてるよ。DVD観てたら眠れなくなっちゃったんだよね」
「ホラー映画アルな。そんなもんで眠れなくなるなんてまだまだお子ちゃまネ」
「いや…うん、だね」
「あ!そういえば購買に行かないといけないんだった!」


思い出したように手を叩いた神楽ちゃんに「まだお昼食べてないの?」と聞いてみる。すると「弁当はとっくに空アル。購買には食後のデザートを買いに行くネ!」と当たり前のように返ってきた。まだ授業は終わったばかりだというのに既に弁当が空とは、流石大食い女王と呼ばれるだけはある。きっとデザートも物凄い量を食べるんだろうな、と呆れ半分尊敬半分に笑い返した。あんなに食べてこの体系って羨ましすぎる。世の中不平等だこんちくしょう。いつの間にか購買に向かって走っていった神楽ちゃんは、既に人ごみに紛れて見えなくなっていた。行動早。…さて、私はどうしようかな。お昼ごはんは既に家で済ませてきたし、かと言って教室に戻るには昼休みで出入りの激しい職員室の前を通らなければいけない。遅刻してきた私にとってそこを通るのは自殺行為だ。…でも3年の階である此処をふらつくのは良くないよな。うん、やっぱり教室に戻ろう。今なら人通りも多いし走り抜ければなんとか突破できるだろう。意を決して方向転換しようと振り向くと何故か「ヤツ」の顔が視界いっぱいに広がった。


「ひいっ」
「…酷いなぁ、その反応は」


どどどどうしてヤツが此処に居るんだ…!突然現れた予期せぬ天敵(変態)に腰を抜かしそうになった。言葉とは裏腹に大して傷付いた様子もない男は、ケラケラと私の反応を楽しんでいるようだった。「久し振りに学校に来てみたら調度教室からアンタの姿が見えたから会いにきちゃった」…そうだ。此処は3年の階、そしてこの男は3年。学校で遭うことはないだろうと思っていた私は甘かったのだ。まさかこの男がちゃんと学校に来ていただなんて。珍しく来たとはいえなんて運の悪い。「凄い顔色悪いけど死ぬの?あはは」あははってお前。死んだら確実にこの男のせいだ。


「ねえ、アンタって毎日学校来てるの?」
「いや、」
「へえ。じゃあ俺も学校来ようかな」


この男、自分から質問したくせに答えを聞こうともしない。昨日無視され続けたのはきっと気のせいだと思ってた(正確には気のせいだと思いたかった)けど、気のせいなんかじゃなかった。どうせ聞かないなら最初から質問しないで欲しい。そんなこと言えないけれど。…っていうかこの人今、「俺も学校来ようかな」って言った?じょ、冗談じゃない!学校は結構真面目に来ているのに。最近友達もたくさん出来たし毎日楽しく学校生活を送っていたというのに。今この変態によってこの平和なすくーるらいふが壊されようとしている。そんなのってあんまりだ。なんとしてでも学校の平和は護らなければ。大分私の平和のために無視される覚悟で口を開いた。


「学校には、」
「ん?」
「…学校には、」
「学校には何?」


…何で無視しないの。いや、無視されないのは喜ばしいことなんだけど。絶対無視されると思って言ったのに、予想外だ。予想外すぎて後の言葉が続かない。なんて言ったらいいんだろう。学校には来ないで下さい?そんなこと言ったら絶対に殺される。犯される。今度こそ絶体絶命のピンチだ。口篭った私にイライラしたのかいつもの綺麗な笑顔がより一層美しくて逆に恐ろしい。…。


「…やっぱ何でもないです」
「あ、そう。てっきり拒否されるのかと思ったよ」


負けた。やっぱり何も言えなかった。嗚呼私ってどうしてこんなにチキンなんだろう。キーンコーンと昼休み終了のチャイムが鳴る。周りで賑わっていた人ごみはいつの間にか退散していて、崩れかけた笑顔の女と綺麗な笑顔の男が並ぶ光景は酷くシュールだった。








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