白い白い真っ白い世界で私は墨の付いた筆を無我夢中に振り回す。ぴちゃん、と自身の頬に黒い墨が跳ねて付着した。一体此処は何処なんだろう。覚えていることは一つもない。私は目の前で私を眺めていた男に尋ねた。



「私は誰なのかしら」



男は暫くして答えた。



「さあ、ね」



俺にもさっぱり分かりませんよ。



「そう」

「処で貴方の行動の意味は」

「わからないの」

「へぇ、それはそれは」



言葉の続きはなかった。喋る気配が一向にないので、私は暇になった。筆を振り回す。



「面白いですね」

「何のことかしら」

「貴方のことですよ」

「何も面白くないわよ」

「いいや、」



又もや言葉が途絶えた。暇になった私は筆を振り回す。



「墨がなくなってしまったわ」



男は何も言わない。只、見ているだけ。私はポイと筆を投げ捨てた。



「真っ黒だ」

「何が?」

「貴方以外に何があると」

「私?」



言われて真っ白い着物の袖を見てみれば、確かに墨で汚れてしまっていた。



「…しょうがないのよ、白くなれないのだから」

「白くなりたくない、の間違いでは」



白くなりたくない?随分と意味の分からないことを言うのね。



「墨は取れないでしょう」

「ええ、しかし此処には黒がよく映える」

「真っ白ですものね」



所々にぽつぽつと浮かぶ黒い斑点は先程の私によって出来たもの。



「貴方は黒くなれない」

「何を仰っているのかしら」

「人間は何れ消えていくものですよ」



嗚呼、私の覚えていることは一つだけあったようで。





「それが人間の使命というもの、だと俺は」












白、白、黒、透明


(そろそろ潮時のようで。)










100307