アクアリウム | ナノ

僕の記憶の中の、限りなく最初に近い部分。

一面の青と、静かな時間の流れる音。僕の周りを360度ぐるりと取り囲むようにガラスが壁を作っていて、それから発せられている青い光は、長い通路に立ちすくむ僕をも同化させるかのように、ぼんやりと足元を照らす。
ガラスの中の大小様々な魚たちは、まるで空を飛ぶように泳いでいる。青く染まる僕までが魚になったような感覚を覚えた頃、遠くから僕の名前を柔らかく呼ぶ声が、一縷の光のような声が響いた。それは狭い通路によく反響し、僕を幻の水から掬い上げる。

僕は声の方に自然と駆けていた。嬉しさと安心が身体を包み、優しい腕に収まると、その手は真綿で包むように僕を撫でる。
僕は嬉しくて、暖かな香りに包まれながらその人を呼んだ。

「  」



「――10番、意識を取り戻しました!」
「3番、6番、共に心拍数低下。呼吸に乱れが出ています。9番、意識戻りません」

また、この声だ。
白い部屋に白い服、笑えるくらい青白い両手。人差し指に嵌められた機械。ガラスの向こうからの緊迫した声は僕を現実に引き戻すのには十分な材料だった。ただ、酷くナンセンスだとは思う。

目を閉じてゆっくりと息を吐いた。それだけでおかしい程震えている。僕の末端まで鼓動が脈打っているのが分かった。頭の中をさらさらと血液が流れる音を聞きながら、また瞼を開く。新鮮な光、だけど良い景色じゃない。皆が倒れていて、豊が担架で部屋から運ばれて行ったのが見えた。扉の向こうは、恐ろしく暗い。

(生きてる……)

薄らぼやけた視界と頭の中でぼんやりとそう感じた。身体中が生の音で満ちている。それはさっきまでの夢の無音の通路なんかじゃない、もっと鮮明でどうしようもなく汚くて、でも僕を同じように安心させる感覚だった。


実験室から出て一時間経った。
血液採取の後の左腕を抑えると、僕と同様にあの時意識があって立っていた光がスリッパを引きずるようにして歩いてきて、無言でドサリと胸に倒れ込んできた。多分、もう彼もギリギリの段階まで来ているんだと思う。僕らの他にあと平良が残っていたけど、きっと光と同じ状態だろう。先輩意識が強いあの人のことだ、弱っている姿が見せられないといったところか。

「…光、無理しないで寝てて良いよ?」
「……実弓が落ちたから、部屋一人なんだ。眠れないよ、こんなんじゃ、…」
相部屋制である僕らの宿舎は、冷たく広い。神のアクアの成果を調べるためか、サッカーボールを自由に蹴ることも許されない(第一僕たちは元々サッカーをしたことがなかったから、ボールなんてない)。だから部屋は殺風景で、寒くて寂しかった。僕は一人部屋だからそれがよく分かる。

「…豊、大丈夫かな」
「大丈夫だよ。豊はうちのFWだよ?こんな事じゃ死なない。だろう?」
「…照美は、つらくないのか?」
ぐす、と鼻をすする音の後に涙声で小さく呟かれた。低い位置にある深い色の髪を撫でる手が一瞬止まる。

「…僕を誰だと思っているんだい?」
「……」
「僕はこのチームのキャプテンだ。皆の分まで頑張って、…光がもう泣かなくても良いように、強くなるよ。だから、」

その先は浮かばなかった。ただ髪と同じ色の瞳を見るとその中に不安げな僕が映っていて、まるで揺らぐ水面のようだ。
それでも本当は僕も、少しだけ子供のように不安を素直に口に出したかった。誰かの腕に包まれて優しく撫でてもらえるように、そんな風に甘えてみたかったんだ。

光をぎゅうと抱きしめると、子供のような暖かさに満ちていた。彼の腕が回される。僕も慰めのようにきつく抱きしめて、自分に言い聞かせるように呟いた。

「僕は、大丈夫」