深夜の世宇子スタジアムは恐ろしい程に静かだった。ただそこにいるだけで、風が頬を撫でる音すら聞こえそうだ。あの決勝の日の歓声など嘘のようだった。 円堂くんから借りたボールを手に、スタジアムの真ん中へ向かって歩き出す。 一歩一歩歩を進めるうちに、芝を踏む音が拍動と重なっていくようだった。その緩やかな音に引っ張られるように、僕の心は静かに波打っていた。 今までのことを思い浮かべる度に必ずみんなの姿が、声が、記憶が頭を掠める。もうどれくらい経っただろうか、何日こんな不毛とも言えることを続けてきただろうか。 それでも良かった。善行なんかじゃなくて、自分のエゴだから良かったんだ。 「……」 開け放たれた天井からは夜の光が僅かに零れ、差し込んでいる。今夜は本当に美しい満月だ。その光を遮るように雲が月を覆い隠し、見つめる地面は暗くなる。電気など点かない。もうここはただの廃墟なのだ。 僕は一度大きく深呼吸をした。息を吸って吐く、ただそれだけの事なのに、生の感覚に体中が呼び覚まされていく。それはもう昔のような、体を巡る血液の音でもなく、無機質な機械の音でもない。僕が、僕自身が自分を生かしている音だ。僕が望んでいることなのだ。 「…僕はここにいるよ」 一番言いたかったこと。それはこんなにも単純なことだった。 ずっと居場所が欲しかった。世宇子のみんなと出会って仲間を知り、幸せを知った。温かなそこを居場所と呼んだ。 だけど僕の居場所は、いつだって僕の中にあったんだ。 悲しみや苦しみから、自分だけの特別を求めた僕ら。それを約束してくれた総帥に従い、崩れ、壊れ、やがて全部失った。 負けた時、きっと皆理由を失ってしまったのだ。サッカーを続ける理由を。特別が、居場所が、力がなくなって、怖くなっているだけなんだ。 だが僕たちが求めた特別はいつか形を変えて、その特別を得るための手段でしかなかったサッカー自体を特別視していった。 みんなそれに気付いていたはずだ。認めるのが怖かっただけで。違和感を肯定してしまえば、それは自分の中の芯を自ら折ることになると思ってしまったから。 だから多分、逃げることは間違いじゃなかった。でも、それでも。 「皆まだサッカーを諦めたくなかった。だから僕は皆を諦めないよ。正義の味方じゃなくていい、自分勝手って言われてもいい。どうしようもないけどキャプテンだから、まだ皆のこと諦めたくない」 あの日の瞳を忘れない。一つだけ確信している事、それはまだ皆がサッカーを諦めたくなかったということだ。 駆けずり回ってでも伝えたかったのは、サッカーをしてもいいんだ、ということ。アクアがなくても強くなれる。傷つけるんじゃなくて、守るサッカーができるということ。負い目を感じる必要なんてない、だって僕らはサッカーが好きなんだから。 ただそれだけの、ただの人間なんだから。 「僕たちだけの特別は、ちゃんとここにある。力がなくてもアクアがなくても、築いてきたものがある。だからもう、怖がらなくても大丈夫だよ」 両腕に抱えたボールを一度強く抱きしめた。少しだけ暖かい、確かにあった絆の記憶。 僕は、ボールをフィールドの真ん中に置いた。その瞬間風の音が耳を鳴らし、空を覆っていた雲が切れる。天井から降ってきた光は、僕とボールを柔らかく照らし、切り取った。 光の差す方へ、まっすぐ真上を見る。本当に、本当に綺麗な満月だった。 「見ていて。勝って、きっとまたここに来るから」 風が凪いだ。僕の中に響くのは、もう僕の心臓の音だけだった。 |