アクアリウム | ナノ

カオス戦に向けての雷門での練習中、アフロディは一人の影の行き先が気になっていた。みんなが必死で練習する中、たった一人取り残されるようにしてベンチに座る少年、吹雪士郎の事だ。昨日の帝国での練習の時に知らされた彼の過去と現在が、アフロディの胸の奥をチリリと引っ掻き、焦がす。

しばらくの間雷門中を離れていた吹雪は、出ていく前に増して気分が優れない様子だった。戻ってきた彼は、掛けられる言葉に曖昧な返事と笑顔を返す。誰が見ても様子がおかしいのは明確だった。
それでもありのままの吹雪に変わらない対応をするのは、彼らが吹雪を信じているからだ、と円堂は言った。吹雪が自身の力でサッカーに戻ってくるのを信じて待っているのだ、と。

夕方の風の中、アフロディは思考する。去っていく吹雪の背中が、絶望を携えた瞳が、あの日と重なった。

「…君に賭けてもいいのかな?」

小さく呟いた言葉は、そこに流れる空気になって溶けていった。


「吹雪くん、ちょっと話をしないかい」
「君は…」
一人ベンチに座っていた吹雪の隣に、アフロディは腰を下ろす。気付いた吹雪はポカンとした表情でアフロディを見つめた。それに小さく微笑み返し、茜色から紫に変わり始めた空を眺める。だが最初に口を開いたのは、吹雪の方だった。

「…多分話せることはないと思うよ。きっと君の一方的な話になっちゃうよ?」
「じゃあ一方的に話すから、最後まで聞いてくれる?」
「……はは、参ったなあ…お説教はちょっと苦手」
苦笑いで呟かれた吹雪の声は、情けない程に震えていて、息を吹き掛けたら吹き飛ばされてしまいそうだった。アフロディは目を閉じ、落ち着いた声色で話し始める。吹雪の膝の上で拳が握られた。

「吹雪くんは欲しいものはあるかい?」
「欲しいもの…?」
「そう。何でもいいんだ」
「…じゃあ、君はどうなの?とても強そうに見えるのに、何が欲しいの?」

本人が言うより食いつきのいい吹雪に、アフロディは内心で少しだけ微笑んだ。素直な問いかけに自分自身の胸を開いて見ているような感覚になる。

「僕が欲しいもの?そうだね、これ以上は何もいらないよ。ただ無くしてしまったものを取り戻したいだけ」
「…それで僕に近付いたの?僕のこと聞いたんでしょう。同情のつもり?」
「いや、違う。もっとずっと自分勝手な理由さ。訂正するよ。…僕は、君と僕の大切な人たちを重ねて、希望が欲しいんだ」

不機嫌気味の吹雪の視線は、自らの拳に落とされる。アフロディは対照的に遠く上を向いたままだ。二人の視線は交わらない。
「ある理由でサッカーから離れてる仲間がいてね。ここに来た時に君を見て、彼らと同じ目をしていたのが気になったんだ。だから君が自分の殻を破った時、彼らにも希望が持てるかなって。
もちろん彼らが戻ってくるための準備も努力もしているよ。でもあとは彼ら次第だから」

アフロディの答えに、吹雪は視線を落としたまま唇を動かす。酷く否定的で、だが自身もそれを分かっていた。
「…でも、そんなの虫が良すぎるよ。誰かのための恩人になりたいの?何かをしてやったっていう優越感に浸りたいの?そんなのただの我が儘だよ。それに独善的すぎる」
「…そう、なんだよね。それは自分でも分かってる」
「自分の思ってる事が他人と同じだとは限らないんだよ?だってみんなは僕じゃないもの。誰も本当の気持ちなんて分かりはしないよ」

次第に高ぶっていく吹雪の生身の感情を、アフロディは目を細めて受け止めた。それが初めて聞いた吹雪の本音なのだと、噛み締めるように口を開く。

「そうだよ、誰にも人の気持ちは分からない。でも、分かってもらおうとする努力はできる」
「……」
「目指すゴールは一つだとしても、そのための方法や理由は一つじゃなくても良いんだよ。君がどんな方法で理想を求めて、その結果悪い方向に進んでしまうとしても、君の周りには仲間がいるだろう」
「っ…」
「そういう時は頼って良いんだ。それは弱さじゃない。一人で頑張る必要なんてないんだから」

驚きで顔を上げた吹雪と、薄い笑みを浮かべたアフロディ。ようやく二人の瞳は噛み合った。揺れる青の双眸に、茜色に染まった瞳が揺らぐ。諭すように、なだめるようにアフロディは言葉を紡いでいく。

「君も本当はサッカーがしたいんだろう。だからこうしてまだ雷門にいる。…何かに縛られることはとても辛い事だ。でもそれを乗り越えていけたら、きっともっと強くなれると思うから…」
「そんな…」
「ねえ吹雪くん。今度の試合、よく見ていてくれないかな。そこから何か感じてほしいんだ。僕は君が戻ってこられる場所を守る。他の誰にも渡さないよ。そして君が戻ってきたら、僕はここを出ていくから」

困惑の表情の吹雪を抑えこむように、一方的なアフロディの話は続く。吹雪にはアフロディの考えが分からなかった。抱いた疑問はそのまま口に出ていた。

「君は、どうしてそこまで…」
「…さあ、どうしてだろうね。僕にもよく分からない。僕は君をよく知らないし、知ったつもりでいるだけかもしれない。君がなぜそんなに苦しんでいるのかも、実際のところ僕にはよく分からない」
アフロディは困ったように眉を下げ、息をひとつ零した。そしてまっすぐ吹雪をみつめ、言う。

「だから前に進むために、頑張れなんてそんな無責任な事は言えないよ。どうせなら一緒に強くなりたい。だから言い方を変えるね。一緒に頑張ろう」

それは勇気をもらった言葉だった。自分が一人ではないと思える魔法の言葉。孤独な戦いから手を引き上げてくれた、一筋の光の言葉だ。
言葉の出ない吹雪をそのままに、アフロディは立ち上がって歩き出す。最後に吹雪の見た彼は、泣きそうな表情で笑っていた。


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