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完全なるIFストーリーにつき注意

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直井が消えた。
真昼間の校庭、かつて戦線メンバーを壊滅寸前に追いやった直井を止めたあの校庭で、直井は静かに消えていった。
小柄な体躯や深い色の髪や金の瞳、出会って僅かな時間でありながら記憶に焼き付く光景を俺の胸に刻み込んで、形のあったものをほとんど全て残さずにいなくなった。手元に残ったのはいつも被っていた帽子だけだ。

本来思い残すことが無くなったであろう直井は、あの雨の中消えるはずだった。しかし成仏せずに戦線メンバーに加わった彼は、それからというもの急に性格が豹変したように俺を慕い、接するようになった。

本人はそれが良いと笑った。俺と一緒にいたいと。
その言葉に少しだけ気持ちが鈍ってしまっていた。成仏して消えることが完全な「幸せ」だと思っていた俺にとって、消える直前の直井の言葉は大きく重いもので、頭を鈍器で撲られたような、それこそ死ぬくらいの痛みと衝撃があったのだ。


岩沢は消える瞬間笑顔だったという。いつからだっただろうか、死の重みを忘れかけていたのは。死ぬことのない俺たちにとって、消えること、つまり成仏することが直接的な死だったはずだ。
ユイの時だってそうだ。消える直前、ユイは笑っていた。そして幸せそうな表情で消えていった。

でもそれが最善の案なのかどうか、固めた意思が揺らいでしまったのを全身で感じた。
この世界での幸せだって幸福なものには変わりないはずだ。成仏することだけが幸せだなんて誰も決めちゃいない。ユイだって、直井だって、この世界の日常にある些細な幸せに身を浸していても良かったのではないか、と心の奥で声が渦巻いている。


直井が消えた理由は至極明瞭なものだった。
何かやりたいことはあるか、と問えば、ただ一言「じゃあ、抱きしめてください」と真っすぐ前を見て呟いた。あの時のように、ただ抱きしめて欲しい、と。
そうされる事で、自分がそこにいることを認めて貰っている感覚が得られるらしい。誰にも認めて貰えなかった自分自身を得られる、と。
だがしかしそれは既に叶ったはずだ。それを言えば直井は、消えるなら最後の瞬間まで側にありたい、と微笑んだ。それはつまり、いつでも満たされていて成仏できることであったらしい。

たったそれだけの事、ユイの時と比べれば簡単すぎる。それ故に少しだけためらった。俺がこの両手に収めれば、目の前の直井は消えてしまうということだ。あまりにも軽い「死」だと思った。軽いから、怖かった。
眉を寄せる俺に、直井は不思議そうな表情をした。俺の考えを知っているからこそそう思うのだろう。ためらう俺に両手を広げた。優しく柔らかな声で、俺の名前を呼びながら。

俺は自分自身に消えることが幸せなんだと言い聞かせた。腕の中に収まった体温は、紛れも無くそこに生きていた印なのだ。
ゆっくりと離せば、俺より少し身長の低い直井が見上げるようにして微笑んで、たった一言「音無さんといられて、幸せでした」と呟いた。
その言葉にはっとした瞬間、既に目の前から直井は消えていた。足元には黒い帽子だけが残る。また、大事な人が一人消えてしまっていた。


俺たちにとっての幸せは、何なのだろうか。少なくとも直井にとっての幸せは、この世界にあったことを知った。皆にとっての幸せは何なのか、考えれば考える程分からなくなる。

なあ、神様。もし居るなら、誰もがもう苦しまなくていいような世界を与えてくれ。誰かに抗わなくてもいいように。死んでも尚、満たされないことがないように。

晴天の昼間、直井が消えた校庭の真ん中で、一人で立ち尽くして空を見上げた。まだ温もりの残る小さな帽子を握り締めながら。



それでやさしいつもりだったんだ
Thanks:容赦
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