小説―稲妻 | ナノ

フットボールフロンティア決勝戦。絶対に勝てるはずだったその場面で、僕らは負けた。それは僕にとって完全なる存在理由の消滅で、自信の喪失だった。絶対の力の終わりと、絶望の始まり。果てに感じたのは、虚空な闇と空間と無音に等しい音だった。
サク、サク、と音を鳴らして世宇子スタジアムの芝生を踏む。ここに立ったのは一週間ぶりだった。吹き抜けの天井から注ぐ昼の眩しい光は、僕と、僕を通して芝に作られた影を嘲笑うかのように明るい。あんなに歓声に溢れていた観客席は驚くほど静かで、芝生が生む乾いた紙くずのような音だけがこの広い空間を埋め尽くそうとしている。

「何してるんだ」

芝生を踏む音以外に音が響いた。僕の後ろの方から聞こえてくる声は、凜としていて静かだった。スタジアムの中央にいる僕は声のする方へ身体を振り返る。本当は声だけでそれが誰かなんて分かっていたけれど、今は何となくその人物の顔を見ていたい。

「そっちに行ってもいいか」
「うん、待ってる」

二つ返事で了承すれば、律儀な彼は真っすぐスタジアムの真ん中へ向かって歩き出す。僕はそれを黙って見ていた。サク、サク、と規則的に鳴る音が耳を引っ掻く。

「考え事をしていたんだ」
「考え事?」
「そう。色んな事を考えてた」

天井の四角く切り取られた空間から、真っ青な空が見える。それを見上げながらぽつりぽつりと呟いた。目の前の彼も僕と同じように頭上の青を見上げる。端から見たらきっと馬鹿馬鹿しい光景なんだろう。

「僕はこれからどうしようか、とか、今更人間やり直す事ってどうなんだろう、とか」
「……」
「ここに来るまでのこと、忘れちゃったよ。ほとんどね。両親の顔だとか、自分の誕生日だとか、そういうの全部」
言って、天井を突き抜けた先の空から視線を落とした。目の前にいる彼は僕を複雑そうな目で見ていた。その落ち着いた色の中には、覇気のない顔をした僕が突っ立っている。
僕は無性に泣きたくなった。寂しくなった。情けなくてどうしようもなくなって溜め息が出た。瞳を閉じてしまいたい。こんなはずじゃなかった事実から、後悔から逃げたくて仕方ないんだ。あの日からずっと感じているのは、虚空な闇と無音に等しい音。その暗がりの中で僕だけがずっと叫んでいた。助けて、と。

「かみさまは死んじゃったんだね、平良」
自嘲を含めた声でそう呟けば、それはもう目の前の先輩に告げた言葉でも何でもなくて、自身に投げかけたものになった。言い聞かせるように、あやすように。まるで子供に言うように。そうして届いた言葉は彼の耳に入ったらしい。口を開く一瞬の動作が、やけにスローモーションに見えた。

「お前の中の神を殺す必要なんて、どこにもないはずなんだ。必要なのはそんなことじゃない、きっとそうじゃないはずなんだよ」
「…じゃあ何だって言うんだい」
少しだけ可愛げのない言い方をしたことが自分の胸に引っ掛かる。結局子供のままの僕に平良がふっと笑いかけた。初めて見る表情だった。

「お前は確かに人間だよ。忘れていただけなんだ。だから、今日が新しい誕生日だ」

天井から光が差している。少しだけ風が髪をさらった。夏の気温、あの日の歓声、笛の音。無音だった世界に音が生まれる。目の前にちらちらと光が瞬いている。それを掴んでもいいのだろうか?…大丈夫、許されることだから。きっともう大丈夫なはずだから。
だから、神様、少しだけ――『勇気』をください。


掴め、ちゃんと自分で、掴むんだ。


「誕生日おめでとう」


ザア、と芝生が鳴った。もうそれだけだった。喉からろくな声は出ない。でもそれで良かった。
頭の中には声だけが響いている。





夢の向こうが真白の更地でありますように
Thanks:容赦