小説―稲妻 | ナノ

引き抜き後雷門生徒になった二人

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保健室の窓からは、夕方の黄色い光が溢れ出して部屋中を照らしている。薬品の匂いがうっすらと広がるそこに、突如として音が生まれた。扉を開けた音のようだ。
部屋に入ってきたのは、サッカー部のユニフォームを纏った、赤と金の鮮やかな二人組だった。赤髪の少年――基山ヒロトは、もう一人の少年に肩を貸しながら歩み、ソファに座らせる。保健室には二人の姿しかない。外から聞こえてくる運動部の声も、普段より大きく聞こえるようだ。

「ごめんね、大丈夫?」
「大した怪我じゃないよ。それより君も肘を怪我してる。手当てしないと」
ヒロトが心配そうに言うと、ソファに座ったもう一人の少年、アフロディがヒロトの肘を見て呟いた。諭すように目を合わせて僅かに首を傾げれば、長い金髪が揺れてサラリと背中に流れる。

「俺は後。まずその膝をどうにかしないと」
「んー、染みるのは嫌なんだけどなあ…」
「すぐ終わるから我慢我慢」
ヒロトは擦りむいた肘をそのままに、戸棚から救急箱を取り出す。ここに来るまでに傷口を洗っておいたせいか、二人の傷口は怪我の程度に比べてずっと綺麗だった。

「…さっきはごめんね。怪我させちゃって」
「あれは加減できずに突っ込んだ僕のせいでもあるから。僕の方こそ謝るべきだよ」
ヒロトが謝罪の言葉を呟きながら、消毒液を染み込ませたガーゼをアフロディの膝に被せる。傷口からは目の色と同じ深紅の血液が、再び滲み始めていた。

グラウンドで今も白熱した試合を繰り広げているであろう、サッカー部での練習中にそれは起こった。紅白戦の途中、互いに敵チーム同士だった二人は、FWとして前線に立っていた。
ホイッスルが鳴ってから膠着状態にあった試合が動きを見せたのは、アフロディにパスが渡ってからだ。しかしそこで予期せぬ事故が起こる。攻め込んで来るアフロディを阻止しようとしたヒロトとアフロディが衝突したのだ。フェイントでかわそうとした所を抜け切れずに、ヒロトとアフロディが勢いよくぶつかった。周囲がざわめき、二人の周りを囲むようにして集まった。
そして、現在に至る訳なのだが。

「とりあえず保健室使ったことだけ書いておこうかな」
「基山くん、肘やるよ?」
「ありがとう」
右肘を出したヒロトにアフロディが脱脂綿で触れる。幸い傷が浅かったので大型の絆創膏を貼るだけに止まった。
机の上に二人分の保健カードを広げ、ヒロトの持つ鉛筆が利用記録を書き込んでいく。その様子をアフロディが横から覗き込んだ。

「『ヒロト』ってどういう字書くんだい?片仮名のまま?」
「え、ああ…うーん、多分片仮名のままじゃないかな」
「多分?」
「実のところ自分でもよく分からないんだ。借りもののようなものだから」
そう言って苦笑したヒロトに、アフロディは更に首を傾げる。全ての戦いが終わった後に引き抜かれたアフロディは、その名前の持つ意味を知らないままなのだ。

「この名前…『ヒロト』は俺の本当の名前じゃない。ずっと前に死んだ父さんの本当の息子の名前なんだ。俺がその子に似てたから、息子に見立ててつけたみたい。その前の名前は、もう覚えてないんだけど」
「じゃあ僕と基山くんは似ているね」
アフロディが救急箱を静かに閉じて呟いた。鳩が豆鉄砲を食らったような表情をするヒロトの深緑の瞳を見つめ、ひとつひとつ言葉を落としていく。

「『アフロディ』も『亜風炉』も偽物の名前だから。神様に見立てたただの飾り物」
「苗字も?」
「こんな苗字作ったんでもない限りどこを探してもないよ」
そう言ってアフロディはクスクスと笑った。そして年相応ににっこりと微笑み、吸い込まれそうな深紅の瞳には、眉尻を下げたヒロトが鏡のように映る。
「でも大切なものなんだ。好きな人から初めてもらったものだから」
アフロディが目を細めた事で瞳の中のヒロトが消え、代わりに本物のヒロトがアフロディの頭を優しく撫でた。突然の事に目を丸くしたアフロディにヒロトが微笑む。

「俺の幼馴染みたいだ。何だか放っておけない」
「それは褒め言葉として受け取ってもいいのかな?」
「構わないよ」
どちらともなく笑い出し、重みに沈んでいた空気は二人分の笑い声で明るい色に染まった。アフロディが目尻の涙を拭い、柔らかな微笑みと共に言葉を寄越す。

「『ヒロト』って、いい名前だね』
「父さんがつけてくれた名前だからね」
「でももう君のものだ。宙の人かな、漢字当てるとしたら」
「そうかもしれないね」
ヒロトがクスリと笑った後、一呼吸置いてアフロディが口を開いた。驚くほど静かになってしまったその一瞬を、綺麗に壊す。

「ねえ、『ヒロト』って呼んでみてもいいかい?」
その申し出に、予想外だというようにヒロトが目を丸くしたが、すぐに笑顔と言葉が返ってきた。それはこの部屋に差し込む朱に変わり始めた光のようで、優しく温かな笑顔だった。

「うん、いいよ」
「…ありがとう、ヒロトくん」
「こちらこそだよ、照美くん」

その直後に保健室の扉が開いた。急に現れた三人目の姿に二人は少しだけ驚く。入ってきた人物は夕日色のバンダナをした小柄な少年だった。

「二人共、練習終わるぜ。怪我大丈夫か?」
「守」
「今行こうと思ってたんだ。ね、ヒロトくん」
「あれ、二人共名前で呼び合ってたっけ?いつからそんなに仲良くなったんだ?」
入口でキョトンとした表情のまま固まる円堂を見て、二人は目を合わせて微笑む。そしてそのまま立ち上がり、入口で片方ずつ円堂の手を引いて歩き出した。
両脇を交互に見る円堂に、二人は悪戯っぽく呟いた。


「「ひみつだよ」」


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ラスボスコンビ更正後。照美の名前は本名なのだろうか