小説―稲妻 | ナノ

雷門引き抜き後設定

――――

「で、この式とこの式を連立させたら、分配法則を」
「分配法則って何だい?」
数式の書かれた白いノートの線の上で、俺の持つシャーペンがピタリと止まる。対するアフロディは、左手に持ったシャーペンをくるくるとノートの上で弄んではいるが、文字が書かれる様子はない。俺は紙面の光景に思わずため息をついた。

「…1年の範囲なんだが」
「数学って難しいね」
「そういう事じゃなくて…教えてくれって言ったのはお前だぞ、アフロディ」

そうだ。現に今こうして俺がアフロディに数学を教えているのは、本人に頼まれたからなのだ。しかし始まって15分、アフロディが理解してくれた様子は見られない。
自慢するつもりはないが、以前テスト前にあの円堂を赤点の危機から脱却させたことがある。円堂もわかりやすいと言ってくれたのだが、目の前でシャーペンを回すこいつには全く歯が立たない。アフロディがその形の良い眉をひそめる度、自分の中のプライドにヒビが入っていく音が聞こえそうだ。

「意外だよ。何でも完璧にこなしそうなお前がここまでとは…」
「よく言われるよ」
アフロディは口元に手を当ててクスクスと笑い、ノートの上に視線を落とした。

「ずっと、ね。閉鎖されたとこでサッカーばかりやってきたから。ざっと勉強したくらいで、実際はこの歳で覚えていなきゃならない分野の3分の1もできていないかもしれない」
「……」
「世宇子のみんなはそれなりなんだけど、僕ずっとこんなだったからね。覚えが悪いのは分かってるんだけど」
「…そう、か。ごめん、良くない言い方したな」
「気にしないで。頼んだのは僕なんだから」

僅かに気まずくなってしまった空気を壊したのはアフロディ本人だった。シャーペンを回すのをやめ、俺の言ったようにノートに数式を並べていく。初めて見たアフロディの字は、癖のない、読みやすいものだった。俺のものと比べると少しだけ筆圧が薄い。流れるように書かれた式をイコールで結んで、アフロディは俺と目を合わせて「どうかな」と呟いた。

「あ…ってる、合ってるぞアフロディ!」
「本当かい?」
「ああ!なんだ、言うほど酷くないし全然覚え悪くないよ。教わった部分を確実に正解に繋げられてるし、飲み込みも早いんじゃないか?」

思いがけない出来事に、まるで問題を解いた本人のごとく喜んでしまったが、当のアフロディは終始落ち着いた笑顔で、自分より喜びをあらわにする目の前の俺を見ていた。シャーペンを置き、アフロディは柔らかく微笑んで呟く。

「風丸くんの教え方は、とても分かりやすいんだね」

にっこりという擬音でも付きそうな笑顔に、つられて俺も微笑んだ。


初めて会った時や試合中の雰囲気から、ずっととっつきにくいと思っていた。でもこうして仲間として過ごしてみると、違った側面が見えてくる事を知った。それはまるでノートの上の数式のようで、ただ純粋に無知で、まだ始まったばかりの一人の人間なのだということを。

ずっと遠かったアフロディに、少しだけ、ほんの少しだけ近付けた気がする。
僅かに晴れた心のように、ノートには赤い花丸が咲いた。それを見てぱあっと年相応に笑ったアフロディと、初めて友達になりたいと思った。



――――

勉強できない照美と新参アンチ卒業した風丸さん
照美は理系、風丸は文系な感じがするんだ