小説―稲妻 | ナノ

これの続き 欠損注意


シュウという幽霊と同居することになってから数ヶ月、俺の中の『幽霊観』は180度変わった。

まず、シュウはものに触れることができる。俺がシュウに触れることはもちろん、シュウも俺に触れることができるし、たまにコロコロ(身も蓋もないネーミングだ)を使って気ままにカーペットの掃除をしてくれたりもする。
ただその肌は死人のように冷たくて、とてもじゃないが長時間触れていられそうもなかったので、急遽購入した部屋着の長袖スウェットを着てもらうことにした。シュウが元々着ていた衣服は洗濯をする必要があるからだ。俺の持っている服では襟ぐりが広すぎるし、まあ致し方ないだろう。
ともかく、そんな中途半端に身体を手に入れてしまったシュウは、ひとつ大きな問題を抱えていた。脚がないことはこの際置いておくとして、その中途半端な肉体が問題だ。

今の状態のシュウは所謂『ゾンビ』に近い状態らしい。ゾンビ状態といえば、死体である。
そう、死体。肉体としては死んでいる状態だ。つまるところ、長時間放っておくと肉が腐ったような腐臭で大変なことになってしまうのだ。
今の季節は冬だからまだいいものの、夏場は本当に大変だった。冬であっても半日放っておくと大変な有り様だが、夏は日に二度風呂に入れなければならなかったのだから。
シュウもシュウで相当なショックを受けていたようだが(まあ当然か)、俺も経験したことがないから上手くフォローできない部分もある。仕方なしに、とりあえず身体を清潔にしておけば匂いは消えるだろうという結論に至ったのだった。

最初こそ駄々をこねていたものだが、今になっては俺に世話されることにも大分慣れたのだろう、学校から帰るとどちらともなく浴室へ向かうことが当たり前になっていた。シュウの方からせがむことはまずないが、俺が促せば二つ返事で肯定が返ってくる、という具合だ。まあ身体を綺麗にすることを嫌う者なんていないだろうから、俺としても都合がいい。ここまで一緒に暮らす期間が長くなれば、今さらシュウの世話なんてそうそう面倒でもなくなってくる。一種の習慣というやつだ。

「おかえり、白竜」

鍵を開ける音で気付いたのだろう、シュウが手に持ったコロコロを置いて出迎えてくれた。今日は気分がいいらしい。こっちは外の突き刺すような風で全身が凍り付いているというのに。今日はもしかしたら雪になるかもしれない、と心の隅でぽつりと思い浮かべた。

「外は冷えるな」
「そんなに寒いんだ」
「ひょっとしたら雪が降るかもしれないな」

鞄を置き、テーブルの上に置かれていたリモコンを取って電源を入れる。チャンネルを変えていけば、丁度夕方のニュース番組が雪の見込みがあることを伝えていた。

「通りで寒いわけだね」
「明日の朝電車が止まらなければいいんだが…」
「まだ降るって決まったわけじゃないんだろう?それに雪ってそんなに悪いものじゃないじゃないか」

そう、どこか弾んだようなトーンでシュウは俺を見た。学生の身としては電車に乗れなくなることは致命傷に近いのだが、生憎シュウは幽霊だ。出席の大切さなど知らないだろう。
上着をハンガーにかけ、室内のエアコンのスイッチを入れる。妙な気の遣い方をするシュウは、こんな寒い日でもこたつだけで過ごしたらしい。いくらブランケットを羽織っているからといって、シュウにはこたつに入れられる脚もないのだからさほど温まりはしないだろうに。

「身体洗うの?」
「ああ、俺も少し湯に触りたい…」

冷たさでかじかんだ手をこたつに忍ばせ、冷たくない程度にまで温める。徐々に体温が戻ってきたところで、背もたれつきの座椅子に座っていたシュウを抱え上げた。もうこれにも随分と慣れてしまったものだ。それはシュウも同じらしい。最初の頃は変に気恥ずかしがっていたのに、今ではまるでそれが当たり前であるかのように、顔色一つ変えずに大人しくつかまってくる。もはや介護と同じだ。

一人暮らしの浴室なんてそんなに広いものじゃない。椅子に座れないシュウのために風呂用のマットを買ったのは、正解か不正解か未だに答えが出ずにいる。コックを捻れば、少しして湯気の立つ温かな湯が出てきた。腕まくりをした指先がじんと温められていく感覚が妙にこそばゆい。

「今日は特に寒いね。お風呂場も冷えてる」
「そうだな。明日は湯を張るか」
「え、今まで面倒だって言ってたのに」
「寒いのは俺だって嫌なんだよ」

浴槽の掃除が面倒で、冬であれども湯船を湯で満たしたことはなかった。だいたい一人暮らしの入浴なんてどこもそんなものだろう、と横着していたが、今晩は本当に冷え込む。俺一人なら今まで通りにしただろうが、何となく目の前のシュウの言葉が妙に耳に残った。それを理由にして仕事をしたことのない浴槽に湯を張るのも、たまには良いだろう。
「嬉しいなあ」と、ニコニコというよりもニヤニヤと言った方がいいような緩んだ表情のシュウに、なぜかこちらが少しだけ恥ずかしくなる。それを拭い去るために、もう十分に温められたシャワーの湯を盛大にシュウにかけてやった。


風呂場から出れば、ひんやりとした空気が張りつめていた。湯で温められたシュウの身体は今は温かいが、すぐに冷えて冷たくなってしまうだろう。まるで人間湯たんぽだ。抱えていると少しだけ暖かい。まるで生きている子供を抱いているような、何とも言えない感覚に陥る。
当の本人はそんなの全く気にしていないようで、エアコンによって温められた部屋の戸を開けるなり「わあっ」という感嘆の声を上げた。
すっかり閉め忘れていたカーテンの向こうには、窓の外の景色が映る。

「白竜!雪だよ、雪!」

もう大粒になっていきている雪に興奮したシュウが腕の中で動く。「暴れるな」という声も今のシュウには聞こえていないようだった。雪ひとつでここまでテンションが上がるものなのか、と変に感心しながらも、シュウのここまで楽しそうな声を聞いたのは初めてだったから少し面食らってしまう。

「白竜、ベランダ出ようよ。ちょっとだけ」
「今風呂出たばかりだろう。湯冷めするぞ」
「しないよ!幽霊だもん」

爛々と輝く二つの大きな瞳の力に負け、窓を開けた。外の冷たい空気が襟元をすり抜けていく。夜であっても、積もり始めた雪のせいで外は明るかった。もう既に抱えた体温は冷えてきてしまっているが、こういうのもたまには良いのかもしれない。雪の粒が張り付いた冷たさにさえ笑うシュウの笑顔を見ながら、少しだけそんな事を思った。


::120125


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