小説―稲妻 | ナノ

※映画・小説のネタバレ注意




(君に会えてよかった)



夢を見るいとまも与えられないほど、最近の生活は充実していた。
疲れ果てて横になれば、目を開けた時には既に窓の外は明るくなっている。息もつかせぬほどの目まぐるしい毎日の流れをしかし、決して悪いものとは思っていなかった。一からサッカーをやると決めた、あの時の思いがこんなにもしっかりと叶えられているのだから。
ゴッドエデンの閉鎖後、そんな密度の濃い生活を続けてきたものだから、たまに見る夢などは実に奇怪なものが多かった。目覚めると夢の内容なんて忘れてしまうたちであるが、どうしてか生活が改まると内容まで頭に鮮明に残るようになった。それだけ気持ちに余裕ができたのか、理由のいかほどは俺が知る由もない。

また今日も、目覚めた時には妙な感覚だけが残った。
夢の内容はいつも同じだ。ゴッドエデンのテラスに練習用として作られたフィールドに、俺は足をつけている。夜の空気と潮風の寒さが、そこにいると気づかせるところから始まるのだ。
練習用のフィールドだというのに、どこを見てもボールらしきものは見当たらない。しばらくそこに棒立ちになったままでいると、後ろから土を踏む足音が聞こえて振り返る。覚束ない足音は不安定な音を鳴らし、ゆっくりと一歩ずつ近づいてくるのが分かる。ただ、分かるのはそこまでだ。あとは俺もそいつも何もしゃべることはなく、振り返ったとしても輪郭すらぼやけていて見えない。
そして夢が覚める直前、いつも何かを手渡されるのだ。それが何だったのか、きちんと見ていたはずなのに、そこだけが目を覚ますとすっかり抜け落ちてしまっている。それの繰り返しだった。

「……」
上体を起こすと、少しだけ部屋は冷えていた。季節の変わり目だからだろうか、以前よりも肌寒く感じる。夢の後のどこかすっきりとしない感覚に虚空を見つめた。

何度目の夢かは分からないが、薄らぼやけて掴めそうもないその影が何者であるか、心の片隅では何となく予想はしていた。あんな場所であんな時間に単身俺に会いにくる奴なんて一人しかいなかった。だが、何故だ?何故こうも、何度も何度も俺の夢の中に出てくるのかが分からなかった。――いや、この場合なぜ何度もあいつの夢を見るのかが問題なのだろう。

起き抜けの頭を回転させようにも、幾分眠気が意識の底に沈殿したままになっていた。考えるだけ無駄なのだろうが、ただ何となく、夢を見るたびに次第にはっきりとしていくその表情がどこか気になっている自分がいる。そうやってぐずぐずと考えている内にどこか気恥ずかしくなり、誰もいない部屋の中で一つ大きなため息をついた。踊らされているな、と思いながら顔の半分を覆った掌は冷たかった。



初めてのことが起こった。
夢の中で意識があるのだ。自分の意志で手を握ったり開いたりできる。脚を動かすことも。初めての感覚に内心感激しながらも、肌をすり抜ける風の冷たさに身震いをした。海に囲まれたここは夜風が冷たい。俺はあの時の自チームのユニフォームを身にまとっていた。

サク、と控えめな足音が耳を引っ掻いた。いつものパターンだ、ここは変わることはない。どこか躊躇っているかのような色を持って、一歩また一歩と近づいてくる。ここも変わらない。
不整脈のような安定しない足取りを振り返るには、少しばかりの勇気が要った。振り返ったら何かが崩れてしまうような気がするのだ。何となく予想したその姿が本物なら尚の事。少しだけ息を止めた。瞼を閉じて、開く。すぐ後ろまで迫った人の気配に振り返ろうと、僅かに右を向いた。

「白竜?」

聞きなれた、でもどこか懐かしい声が静かに名前を呼ぶ。俺が振り向く前に、あの穏やかな声色で。
無意識のうちに拳を作っていた両手から力が抜けていく。だらりと垂れた腕はどこへ伸びるわけでもなく、ただ行き場を失ってだれてしまった。

「……シュウ」
「うん。久しぶり、でもないかな」
こっち向いてよ、いつもみたいに。そうどこか茶化すかのような声で、ようやく振り返ることができた。今までぼやけていた輪郭は今やっとはっきりと、こちらを見据えて佇んでいる。月の光を背負った表情は影で上手く見えなかったが、暗闇のような色をした大きなまなこは、あの時から何も変わっていなかった。ただ俺が見たことのない、ユニフォームではない格好をしていることだけが新鮮味を帯びている。

「あんまり驚かないんだね」
「…何となく、予想はついた」
「……そう」

会話はそこで途切れた。あの島で別れてから今までで、話すことには事欠かないほどだったというのに。話したいことがあったはずなのに、いざ目の前にすると不思議と唇は動かなかった。ただそれを見て満足したかのような笑顔を浮かべたシュウが、先に口を開く。

「ねえ白竜。…サッカー、楽しい?」

そっと撫でるような声だ。控えめなトーンは俺に問いかける。サッカーは楽しいかと。
シュウの顔には笑顔も不安も刻まれていない。ただ俺をまっすぐ見て、その答えを待っている。悩むことすら馬鹿馬鹿しかった。

「…楽しいよ」
「…そっか」
「……」
「今、サッカー楽しいんだね。よかった」
「…何を言っている」

俺の言葉を耳にして、一拍置いてから柔らかく微笑む。シュウはひどく穏やかな声色で、安心したかのような笑顔を浮かべて呟いた。独り言のようなそれの真意を図りかねて尋ねる。しかし俺の問いかけには触れず、シュウは勝手にしゃべり出した。

「あのね、白竜。君はこれからきっと、サッカーを心から楽しんで、そしてもっと強くなれると思うんだ」
「……」
「ゴッドエデンでの経験も、君の力になっていくと思う」
「…シュウ、」
「ごめん、今だけ聞いて。今だけでいいんだ」

口を挟もうとした俺を静かにたしなめ、シュウは続ける。少し俯いたままゆっくりと一つ一つを噛みしめるように呟くのを聞くたび、自分の鼓動が静かに波打っていくのが分かった。

「これからの君が成長するためには、僕という存在はもうライバルにも仲間にもなりえない。君にはもうライバルも、新しい仲間もちゃんといる。サッカーが楽しいって思ってる」
「……」
「だから、……もう何も心配することはないって思えるんだ」

そこまで言って、シュウはようやく顔を上げた。崩れそうな笑顔を湛えながら、俺に笑いかけてみせた。

「こんな所で君と会ってる時点でもう遅いけど…後腐れなく君が進んでいくためには、僕はもう足枷でしかないから」
「…自分が何を言ってるのか分かっているのか」
「分かってるよ。分かってるから…最後にわがまま聞いてほしいんだ」

自分を卑下するかのような物言いに幾何か憤りを感じて呟けば、シュウもそれを理解したように頷いた。今だって、目の前のシュウが俺にとっての大きな存在には変わりないのに。他と比べるなんて意味を持たない、ライバルとも友達とも違う、たった一人の相棒であるのに。まるでこれが最後だと言うように、シュウの紡ぐ言葉の一つ一つは寂寞にも似た何かに満ちていた。
シュウは服のポケットに手を入れ、何かを取り出した。何度も夢に見た光景。思い出せなかったそれが、俺の前に差し出される。

「……っ、」
「これだけ、きっと忘れないで」

差し出された手が掴んでいたものは、ゼロの腕章だった。それきりシュウは何も言わずに、ただ俺が腕章を受け取るのを静かに待っている。
これだけ、なんて。
腕章を差し出す華奢な手首を思い切り引き寄せる。その瞬間、真っ暗闇に包まれていた辺りが一気に光に満ちた。あの日の歓声が渦巻く、フィールドの真ん中へと。そこに生まれた風が、俺とシュウの髪を揺らしてすり抜けていった。

「は、くりゅ」
「俺が、お前が、これからどうなろうとも、今までのことを忘れるなんて事ありはしない」

手を引かれたシュウは、その瞬間光と共にあの日の姿に戻っていた。俺と同じゼロのユニフォームを着て、引っ張られてもつれた脚を何とか支えながら。ひどく驚いた表情で掴まれたままの手と俺とを交互に見る。初めて見る表情だった。落ち着きを欠いたシュウが少し可笑しくて自然に笑みがこぼれる。それにつられるかのように、シュウも笑った。

「本当に?」
「嘘をついてどうする」
「…そう、だよね。そうなんだよね」
「ああ」
「……白竜、」
「…何だ」

シュウが一言呟いた瞬間に世界が眩く光った。強烈な閃光に思わず目を瞑る直前、光の中で笑ったシュウが見えた気がした。



瞼を突き抜けてくる朝の光は、穏やかに朝を告げる。ひんやりとした空気は昨日よりも冷たさをはらんでいる気がして、ゆっくりと瞼を開けた。僅かに身震いをする。目を開けて見えたのは、昨日までと何ら変わりない部屋の壁。それだけだ。それだけだった。
今は少しだけ、こんな殺風景な部屋でさえも暖かい。起きたばかりでも、不思議と頭の中はすっきりとしていた。夢の中で掴んだ手の温度は痛いほど掌に灯っている。それだけで十分だ。
上体を起こしてカーテンを開けた。あまりにも新しく、眩しい光が降ってくる。その暖かさに目を瞑り、誰もいない部屋で一人、ほんの少しだけ微笑んだ。




::120107
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