小説―稲妻 | ナノ

もしサンダーブレイクが成功していたら
―――

なあエスカ。エスカ・バメル。
君は本当に馬鹿な奴だよ。戦場で敵に情けをかけるなんて愚の骨頂、だろう?今までずっと学んできた、そんな至極当たり前で一番根っこの部分を、君はこうも簡単に裏切れるような人間だったのか。それほど君は愚かだったのか。
…いや、君なりにこの一瞬、色々と思うところがあったんだろう。分かるよ、分かるから俺だって苦しいんだ。左腕を突き抜ける鋭い痛みも、ガンガン脈打つような頭の痛みも比べものにならない位、すごく、すごく痛いんだよ。
ああ、だからどうか君も俺を嘲笑ってくれよ。戦場で敵の死にいちいち嘆くような貧弱な兵士だって、馬鹿だって愚かだって、そう言って笑ってくれよ。なあ、なあエスカ。エスカ・バメル。

「……」

瞼を開けた先に見えたのは、見慣れた医務室の天井だった。どうやら今俺はベッドの上に情けなく体を預けているらしい。むせ返るような血の臭いの代わりに、今はうっすら埃と薬品の匂いがする。
半目の状態のぼやけた視界が捉えたのは、清潔そうな白い包帯と布団だった。俺の頭と腕には包帯が巻いてあるらしい。鈍痛が生まれては消えるような状態だった頭の痛みも、今は落ち着いている。腕も痛むが、あの時ほどではない。だが奥底に沈むような、まるで鉛玉のような重みが取れずにすっきりとしなかった。
ベッドサイドに置かれた通信端末は、この時代では珍しいものではない。そのメールボックスを確認するまでもなく、新着メッセージはゆうに50件を超えているのが見えた。そのほぼ全てが3日前で途切れている。送信者は大体俺の所属する軍の知り合いだった。その連絡が途切れた3日前、それは俺が戦の前線に出た日付だった。

もう4年も前になる。王牙学園にいた頃に、俺やエスカバやバダップが抜擢された計画――オペレーション・サンダーブレイク。
過去へ飛び、歴史を塗り替え、この時代の若者に戦いの心を思い出させる計画。それが成功して学園に戻った時にはまだ気づいていなかった。あれから少しずつ色んな事が変わり始め、均衡を保っていた国は分裂して戦争を始めた。
俺たちが遂行した任務の副作用…いや、これは副作用なんかではなく、本来あの計画が求めていたもののなれの果てなのかもしれない。割れた国同士が火花を散らすそんな情勢の中、チーム・オーガだったメンバーは別々の軍に配属され、兵士となった。

俺やエスカバもそうだ。
俺は昔から軍内のポジションや役職にこだわりは無かったけれど、あいつは違ったようだった。学生時代は一時期指揮官志望とか言われていたくらい座学の成績も優秀だったようだが、どうやらあいつが目指していたものは前線で戦う兵士だったようだ。
詳しくは知らないが、あいつの家系は純粋な軍人家系なのだそうだ。家庭のいざこざが原因で強い軍人を目指している、なんて噂もどこかで耳にしたことがある。真偽はもう誰にも分からない。
あいつは望み通り敵の最前線で戦う兵士になり、殉職した。誇り高い戦死なんてよく言ったものだ。死の価値なんて俺にはよく分からないけれど、でも、あいつを殺したのは他でもない、

「……エスカ、バメル」

口から滑り落ちていた名前は、頭の中で打ち鳴らされていたものと同じ音だった。何度も脳を内側から叩き、暴力的な痛みと同じ分だけ懐かしさが頭を埋めていく。ぼんやりと視線は未だに通信端末を見据えるが、俺にはもう二重、三重とブレてしまってわからない。まるで泣いているように、気を抜くとピントの合わなくなる視界は夢の中に手招きをされているようだった。それに誘われるように、無意味な感情ばかりがこみ上げてきてしまってどうしようもない。

俺が望んでいたものは。あいつが望んでいたものは、こんな結末だったのか。
あいつは、最後の一撃が決まる瞬間に力を緩めた。全力で抗えば逆転できる体勢であったのに、あいつは俺の目を見た瞬間力を一瞬抜いた。
軍人としての使命を全うする?戦場に私情を持ち込めない?
きっと俺たちはどちらも同じことを思っていた。でもあいつは俺に無意識に情けをかけたのだ。元チームメイトという仲間意識でもって、あいつは。

俺だって旧友と呼べるべき仲の相手を手にかけることは嫌だった。でも、仕方がないじゃないか。これは戦争で、敵同士で、仕事なのだから。子供のように思い通りにならないことに駄々をこねていられるほど、俺たちは幼くはないし、かといって全てを割り切れるほど大人になりきれてもいないのだ。どうしようもないことをただ心の内側で嘆いて、別の未来をふと考えてしまう。それくらいしか今の俺には許されていない。自分でも馬鹿なくらい子供っぽい考えだと思った。

何が正しくて、何がしたかったのか。もう何もかもぐちゃぐちゃで、訳が分からなくて、ただ一つだけ確かなことはこんな結末を本当に望んじゃいなかったということだけだった。今までの過去を棒に振ることになっても、あの頃の俺を棄てることになっても、きっとそうだ。

「……ばかみたいだ」

だらしなく横たわっていた身体を起こすと、自分の身体じゃないみたいに重かった。情けない。ふう、と一度溜息をつくと、肺に沈殿していた古い空気が抜けていくようだった。それと同時に重みまでもがなくなってくれるわけではなかったが、裸足が床を踏む音は静かな部屋中に広がって、妙な安堵感を覚える。
通信端末を見る。新しいメールはなかった。

「俺は本当に馬鹿な奴だよ、エスカ・バメル」

頭の包帯をほどいて捨てれば、床に抵抗なくすべり落ちた。シャツを羽織り、少しだけ外を見る。砂埃でまみれた景色が広がった。視線を部屋に戻すと、洗面台に取り付けられた汚れた鏡に辛気臭く笑う自分の姿が映る。その中の瞳に笑いかけて、折れそうなドアノブに手をかけた。

「ごめんね、ミストレーネ・カルス。次は上手くやるから」

なあエスカ。エスカ・バメル。
君は本当に、俺が今まで見てきた中で一番の大馬鹿者だったよ。本当に、いつだって前だけを見ている。きっと自分のしたことが周りにどれだけの影響を与えるかなんて、考えたこともなかっただろう。君の存在がちっぽけであっても、これだけ人の心の大きな痕になるなんて、きっと思いもしなかっただろう。自分が死んだ後のことなんて考えもしなかったんだろう。
でもさ、でも。
正しくあろうとしたんだよ。それだけは分かってるつもり。俺も君も、望まない未来に生きていた情けなくて馬鹿正直なただの人間だったんだよ。だから俺は君を嗤ったりしない。代わりに自分を嗤って、馬鹿みたいって嗤って、それで消えるよ。

国を救う英雄になんてなれなくても良いから、せめて自分の周りの小さな世界をちゃんと守って、それでその時は、君も隣にいて欲しかった。今少しだけ、そんなことを思うんだ。


Thanks:ジャベリン