小説―稲妻 | ナノ

※年齢操作


規則的な電子音にまどろみを掻き消された。うっすらと瞼を開ければ、カーテンで遮られた先の窓から朝の光が入り込んで来るのが分かる。いい加減耳元でがなり立てる携帯電話のアラームを止めて、自分の体温が染み込んだ布団の温かさを噛み締めた。

そうしている内に眠気の波が押し寄せてくることも、経験上承知済みだ。一度閉じた携帯のディスプレイを今一度ちらと見れば、設定した時刻よりも3分程長くこの巣に留まり続けていたようだ。
名残惜しさの残る布団から緩慢とした動きで這い出ると、それだけで一日の始まりを体感させた。

「おはよう、不動くん」
「おう…」
着替えて顔を洗ってダイニングの扉を開けば、キッチンには既にヒロトの後ろ姿があった。アパートには朝の光が溢れ、食卓に並べられた皿の縁を飾る。

「今日新しいバイト先の面接だったっけ」
「ああ。寄り道すっけど昼前には帰る」
「じゃああれだね、お昼はオムライスにしようかな」

ヒロトは食卓に二人分の食事を並べながら言った。朝飯食う前にもう昼の話か。とは言ってもこのアパートに住むことになってから、何か特別な日の昼飯はオムライスが定番となっている。ヒロトの孤児院時代の習慣だったそうだ。だからだろうか、こうしてヒロトが作るものには卵料理が多い気がする。
だが、たかが同居人のバイトの面接ってだけでヒロトにとっては特別な日なのだろうか。価値観の相違に若干煮え切らない物を感じたが、目の前の皿から立ち上る湯気を目で追っている内に、疑問は心の隅で泡のようにぱちんと弾けて消えた。そんな事気にする方が野暮だ。

淡い黄緑色のマットの上には、ヒロトの手製の朝食がカラフルな色と光をふんだんに散りばめて鎮座している。
ほうれん草とベーコンのソテー。半熟の目玉焼き。湯気をくゆらせるコーンスープ。そして最近のヒロトのブームらしいジャスミン茶。
ご丁寧にも目玉焼きの皿には憎いミニトマトまですましたように添えられていて、嫌がらせなのか親切心なのか判断に困っていると、向かいの椅子を引いてヒロトが腰を下ろした。

「そういえば昨日、やっぱりまた喧嘩してたんだってね。晴矢と風介」
「どうせまたリモコン争いの類だろ…」
「すごい!何で分かるの?今朝晴矢からメール来て、『昨日は騒がしくしてごめん』って言われたんだよ」

箸を卵の黄身に差し入れながらヒロトは言う。ぷつりと抑えていた物が外れたようにトロリとした黄身が溢れた。流れ出る黄身を見つめながら返せば、適当に言った言葉はヒロトの心を突くものだったらしい。

隣の部屋に住む南雲と涼野も、俺たちと同じように金欠学生故に同居している。興味は無かったが、ヒロトが楽しそうに話すので何となく気にするようになってしまったのだ。だが落ち着きというものを知らないらしく、頻繁に口論の声が聞こえてくる。ヒロト曰く二人は些細な事で熱くなるが、冷めるのも早いのだそうだ。

「あれでよく同居なんて考えたな」
「まあ、何だかんだ言って仲良いしね。この前も二人して菓子折り持って謝りに来たんだよ?気にしないでって言って肉じゃがお裾分けしたら、二人ともおんなじ顔で笑ってさ」
「…お前は主夫かよ…」

くすくすと笑うヒロトに呆れた溜め息をつけば、ヒロトは卵を弄っていた右手を止め、真っすぐ俺を見る。その表情は昔とあまり変わらず、こいつは元来こういう風に世話焼きで年上気質な奴だったんだっけ、と少しだけ思った。

「周りの皆、放っておけないんだよね。何だか危なっかしくて」
「俺からしたらお前も十分危なっかしいけどな」
眉尻を下げて笑うヒロトにそう一言呟けば、俺を見る瞳をぱちくりとさせた。頭上にクエスチョンマークを浮かべるかのような挙動に、俺はヒロトの持つカップを指さす。

「そういうとこだよ」
「あっ…ご、ごめん!うわっ熱っ!」

俺と逆になったカップを見てうろたえる目の前のヒロトからやれやれと目を逸らす。やはりまだまだ主夫には程遠いと心中で呟きながら、カップにたゆたうジャスミンの香りを鼻腔いっぱいに吸い込んだ。



同じ香りを纏う
Thanks:亡霊