小説―稲妻 | ナノ

がらんとした和室の真ん中で、畳の柔らかな匂いに包まれて寝転がる。
今朝見た天気予報では、最高気温は30度でしょうとはきはきした声のお姉さんが言っていた。うだるようなこの暑さが、最早残暑の域をとうに越えているというのは、火を見るよりも明らかだった。

どれくらいその時間を過ごしたか分からない。
徐々にてっぺんから沈んでいく太陽の光を目一杯受け止める縁側に出て、ふわりと吹いた風が髪を揺らすのを感じた。軒に吊された風鈴が涼しげな音を奏でて、ふと地面を見ると、干からびた蝉の死骸が転がっていた。僕はそれを見て、何故か急に思い立った。

そうだ、お墓参りに行こう。


つい2週間ほど前に送り盆をしたというのに、僕は自分でも分からないがせっせと支度を始めていた。
なんだってこんな暑い日に、と自分でも思うけれど、今無性に家族が眠る墓石が恋しくなったのだ。暑いから、水をいっぱいかけてあげよう。そんな事を思いながら、玄関の引き戸を開けて敷居を跨いだ。

案の定、真昼間の墓地には人一人いなかった。時計を見てこなかったから正確には分からないけれど、多分3時半くらいじゃないだろうか。かんかんに照り付ける日差しに額は汗を滲ませる。手の甲で雫を拭って視線を上げれば、吹雪家の墓石はすぐそこだった。
隣の家の花は暑さで萎びていたけれど、僕が持ってきた花はみずみずしくて綺麗だ。
桶に水を汲んで、さながら水浴びでもするかのように墓石に水を被せる。背の高いそれは僕が背伸びをしても届くか届かないかくらいの高さだったから、素直に諦めて手の届く高さまで杓を掲げた。
線香に火をつけて、瞼を閉じ、手を合わせる。視界が遮られると、容赦ない夏の光や温い風が体中で感じられて、僕はまた汗が滲むのを感じた。

土の匂いがむっとして、僕は目をあける。この匂いが少しだけ苦手だ。昔アツヤも同じ事を言ってたけど、そのアツヤがこんな暑い土の中にいるなんて、何だか皮肉だと思う。

そういえば、昔は暑い時にはいつも畳の上で扇風機の風に吹かれながら、アツヤと「サッカーするのも嫌になる暑さだね」、なんて言ったけれど、結局外に出てボールを蹴る僕たちに母さんは呆れて笑っていた。疲れて畳の上に上がると、カランと涼しげな音を立てて氷の入ったカルピスを母さんが持ってきてくれる。
そんな光景を一瞬だけ閉じた瞼の裏に思い出して、僕は桶に残る水の光を見つめた。ゆらゆらと揺らめくそれは、いつかのプールの水面に似ていて、蝉の声が昔にタイムスリップさせようとしてくる。
全身に降ってくる懐かしい音に少しだけ微笑んで、僕は墓地を後にした。


家に帰ると、4時前だった。僕の体内時計もあながち嘘ではないらしい。
暑くて堪えられなくて、風通しの良い和室にのろのろと向かう。扇風機のスイッチを入れ、畳にごろんと転がると、それだけで何だか満たされたような不思議な気分になった。
開け放たれた障子の先、縁側から心地好い風が吹いてきて、風鈴が鳴る。目を閉じていたら、それがまるでカルピスに浮かぶ氷の欠片の鳴る音に聞こえた。

頭の中で懐かしい声がする。だけどそれはすぐに蝉の声に掻き消されて、後には生温い暑さだけが残った。