小説―稲妻 | ナノ


薄暗い空気を掻き分けるようにして進んで行けば、そこには廃墟と化した建物がひっそりと佇んでいた。まるでそこだけ時が止まったように背景と同化して、さながら額縁に飾られた一枚の絵画のようだ。ただ、円盤のような崩れかかったそれは、絵画のモチーフにするには幾分かまがまがしく薄気味悪い。その廃墟は、この世で造られた物ではないかのように、どこか現実離れした冷たさを放っている。

「…ここに来るのも久しぶりだな」
沈んだ空気の中に鉛弾が落とされたような重い声で、南雲は呟いた。隣にいる涼野に話し掛けているようだが、涼野は南雲の言葉に特別何か答える訳でもなく、ただ目の前の廃れた建物を両目に映すだけだ。

「…星の使徒研究所」
「何で最後にここに足が向いたんだかな」
「良くも悪くも思い出深い場所だから、だろう」
「はっ…言えてる」

星の使徒研究所。かつてエイリア石が保管されていた場所だが、今では建物の爆破と共に石も粉々になってしまっている。
樹海の麓に佇むその建物は、かつて二人が過ごした場所だ。決していい思い出とは言えない時間をここで刻んだ。樹海に入り込んだ二人が無意識に足を運んでしまったのは、涼野の言う通り印象的な場所だからなのかもしれない。

「フロンティアスタジアム、帝国学園、雷門中、吉良本宅…は庭までだけど。色々回って最後がここなんて、何か因縁だな」
「そうなるように決めた君の責任だ」
「でも他にねえし、結局ここが俺たちの場所だったんだろうって思う」
「…認めたくないが、同感だ」
「ははっ…サンキュ」

南雲の眉尻を下げた笑みに、涼野は口を閉じて髪を乱暴に撫でつけた。苛立ったり、気持ちを隠したい時の涼野の癖だ。その原因が南雲であることに、本人は気づかずにスポーツバッグの中を漁る。ガサガサという音が、静かな木々の間に響いた。

「何だかんだ言って、張り合ってんの嫌いじゃなかったんだ、俺」
「……」
「ヒロトもお前も、たまにムカついたけど、ライバルとして申し分なかったし」
「…晴矢」
「…なんてな。悪ィ風介、紐取って」

自嘲するかのように歪められた顔には、僅かな寂しさが滲んでいた。今日の南雲はよく笑う。でも、いい笑顔ではない。
「風介?どした?」
「…今日の晴矢は晴矢じゃないみたいだ。熱でもあるのではと思って」
「ばっか、ねえよそんなの」
「……」
「気遣いどーも、涼野サン」
「…うるさい」
涼野は俯いたまま南雲の頭をペチンと叩いた。目元がうっすらと赤くなり、唇を噛み締めていないと涙が溢れそうだ。そんな涼野を理由も分からないまま南雲がよしよしと撫でる。その手をも振り払い、涼野は目尻の滴を擦った。

「早く、しろ」
「…ん」
「君が言った事だ。私はそれに付き合ってやる。一生に一度だけだ。君の我が儘に、付き合ってやる」
「ありがとな、…ありがと、風介」

南雲は二度、噛み締めるようにありがとうと呟き、背伸びをして作業を再開した。南雲のピンと伸びた背中は、昔のそれと変わらないもののはずなのに、別の人のようだ、と涼野は少しだけ思う。
足元を見れば、粉々になった紫色の欠片が砂に混じって散らばっている。宝石の砂が絨毯になったようで、涼野はなんだかそれが無性に悲しくなった。遠くから見ていれば、綺麗な色だったのに、と。

「風介、こっちこい」

作業を終えた南雲が手招きをして涼野を呼んだ。普段の彼より僅かに大人びた表情に、さっきから涼野は気持ちを狂わされてばかりだ。いつもの南雲ではない、南雲の皮を被った別人のようだと、今日だけで何度思っただろう。

「なあ風介、本当に俺の我が儘聞いてくれんのか」
「二度も言わせるな」
「…なら良いや。聞いてくれ」
向かい合った二人は僅かに南雲の方が身長が高い。以前は逆だったのにいつの間に、と涼野は思う。その合間にも南雲は涼野の目を見て言った。

「俺、お前の事嫌いじゃなかったぜ」
「……」
「頑固なとことか、負けず嫌いなとことか、そんなに嫌いじゃなかった」
「はる、」
「こんな事、今言う事じゃねえよなぁ」
困ったように笑う南雲を涼野が見据える。別にいいと。その言葉に安堵したように南雲は更に唇を開いた。
「あのさ、もう一つ頼みたい事があんだけど」
「…言ってみろ」
「馬鹿馬鹿しいとか言うなよ」
「黙って聞いてやる」
「…笑ってくれ、風介」

寂しさを湛えたような表情で言われた言葉に涼野は一瞬だけ固まる。が、すぐに氷が溶けたように肩の力を抜いた。こんな時にまで馬鹿なやつだ、だがそういうところが嫌いじゃない、と。
目を細めて口角を僅かに釣り上げる。僅かに大人びた、しかし涼野らしい笑顔だった。それを見て南雲も笑う。彼自身の笑顔で笑う。

「もう、いいだろう」
「…ああ。もう十分だ」
「…晴矢、」
「何だ?」
「…君の事、割と好きだったよ」
「そっか」
「…じゃあ、」
「…ああ、…ありがと、な」
「……お疲れ、晴矢」

短い言葉を交わして二人共が目を細めて笑った。赤い紐は木の上で繋がっている。目下に散らばる欠片は見なかった。互いの表情を瞳に焼き付けて瞼を閉じる。

小さな呼吸が二人分聞こえた後、かたん、と台を蹴る音が響いた。


Thanks:comeko