小説―稲妻 | ナノ

「二人でボールを取り合ってみなさい」
広い庭の中央には、まだ年端もいかない少年二人がサッカーボールを挟んで対面している。二人は庭の隅に立つ黒い男の一言を聞き、同時にその声の方を振り返った。それきり何も言わない男を見て、やがて二人は顔を見合わせて頷いた。
小さな手がチョキとパーを形作る。ボールの所有権を得たのは、肩につく程の金糸と深紅の瞳を持った少年の方だった。

「一分だ。一分後にボールを持っていた方が勝者となる」
「「はい、総帥」」
総帥と呼ばれた長身の黒い男、影山の合図で勝負は始まった。巧みなコントロールでボールを保持する金髪の少年に対して、もう片方のドレッドの少年も負けじと対抗しては視線がかち合う。動く度に二人分の髪が揺れ、眩しい程の太陽の光に照らされて煌めいた。
思考の読み合いがしばらく続いた。その時だった。ドレッドの少年が僅かに左足を動かし、それにもう片方の少年が気を取られたその一瞬の隙を突き、右足がボールに触れ――

「そこまでだ」
影山の声が静かに響く。丁度一分が経った時だった。その瞬間二人の緊張が解け、ボールがコロコロと転がっていく。二人の勝負を見ていた影山は、勝負が終わってまだ間もないというのに、二人の横を通り過ぎて建物の中に姿を消してしまった。影山の姿が完全に見えなくなったとき、負けた方の少年が残念そうに呟いた。

「あー…負けちゃったなぁ」
「いや、こんなに手強い相手は初めてだった。もしかしたら俺の方が負けていたかもしれないしな」
地面にへたり込んだ金髪の少年に手を伸ばす。伸ばされた先の鮮やかな二つの紅色が、対するダークレッドの瞳と手とを交互に見つめる。やがてその手を取り、ぐっと引き起こされた。
「ありがとう」
「いや…こちらこそ良い勝負だった、ありがとう」
繋がれた手をそのままに、二人は目を合わせて微笑む。そこでふと思い出したようにドレッドの少年が呟いた。

「そういえば自己紹介がまだだったな。俺は鬼道有人。お前の名前は?」
「…僕、自分の名前好きじゃないんだ」
「…教えたくない、と?」
「今はごめん。でも総帥のもとでサッカーしてれば、きっとまた会うよ。だからその時までに良いあだ名考えておく。それで見逃してくれないかな?」
申し訳なさそうに言う少年に、ドレッドの少年――鬼道が仕方ないなと苦笑した。すると鬼道を見た少年が少しだけ眉を寄せて不安そうに呟く。
「名前を知らなくても、友達になれる?」
「何だ、そんなこと気にしてたのか?」
「僕にとっては重要なことなんだよ…」
「フッ…なら心配するな。俺たちはもうちゃんと友達だ」
言い聞かせるように言った鬼道の手にもう一方の手を重ね、金髪の少年は「うん!」と最高の笑顔を咲かせた。


その後鬼道と別れた少年は、自分の部屋へと向かう廊下の隅で、影山が誰かと電話しているのを見かけた。鬼道との出来事を伝えようと一歩踏み出すと、携帯電話越しに話す影山の口から『鬼道』の名前が零れたのを聞き、足を止める。
「ああ、…鬼道を帝国学園に編入させる。手続きを。…最終テストの結果だ。亜風炉は目の届く学校に置いておけ。例の薬の被験者とする。試験薬は完成しているな?」

鬼道に続き自分の名前が出た事に多少驚きを感じたが、何を話しているか分からないまま影山は電話を切った。足枷となるものが無くなり、少年は隠れていた物陰から影山のもとに駆けていく。
「総帥!」
「亜風炉か…」
「聞いて下さい総帥、僕初めて友達ができました!」
「鬼道の事か」
「はい。いつかまた一緒にサッカーしようって約束したんです。総帥のもとでサッカーをしていれば、きっと会えるから」

そう嬉々として言った言葉が本当になる日は来なかった。その日以来、帝国と世宇子という別々の学校に閉じ込められた二人が会う事はなかったのだ。そして各々が変わっていった。影山に背いた鬼道と、いつしかその鬼道の保険にすぎないことに気づいた少年では、影山に対する思いが全く逆の方向に伸びていたのだ。

そして、再会の時は訪れる。
帝国学園が敗れた。非道なまでに叩きのめしたのは、友達だったはずの彼だった。





決勝戦の日の朝、夢を見た。幼い頃の夢だ。広い庭に自分と総帥と彼がいて、ボールの取り合いをしている。負けた僕に手を差し延べた彼は、僕を友達だと言ってくれた。そしてそこで目が覚めた。
「…友達、か」
先日会った時の彼の態度からは思い浮かばない関係にため息をついた。その彼と、今日同じフィールドで戦う。一緒にサッカーをするという約束がこんな形で果たされるなんて、誰が想像できただろう。

きっと、彼は僕のことを覚えていない。ずっと昔の事だし、外見も声も変わった。名前ですら教えていない。幼い記憶は、チームメイトを散々いたぶった最悪の敵にすり換わっているだろう。

あの時素直に名前を言えたら、何か変わっていただろうか。僕があの勝負に勝っていたら。友達だと言わなかったら。
今更生まれ出る小さな後悔を飲み込み、不健康な色をした自分の手を見つめた。今日この試合で勝ったら、僕が正しくなる。神になる。保険なんかじゃない、総帥の本当の戦士になれる。そうしたら、もう人間の名前なんて必要なくなってしまうだろう。

「いいあだ名なんて、よく言ったものだよ」

彼に教えるはずだった名前はいつだって呼ばれない。だからこそあの日言うべきだった。友達だから、言うべきだったのだ。

「神のアクアの最終調整だってさ。早く来いよ、アフロディ」
チームメイトの声が扉越しに響いた。僕は今から、決勝戦へ向かう。ライバルでも、ましてや友達としてじゃなく、憎き敵、アフロディとして、彼を倒しに行くのだ。

夢の続きを見てみたかった。幸せになれる夢の続きで、彼にちゃんと言いたかった。耳の奥で、小さな子供が笑った気がした。きっと、空耳だ。




Letter
(僕は亜風炉照美。照美だよ)