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捏造


いぶし銀を貼り付けたような長い廊下は、先に進んでいくほど暗く、沈殿している空気さえもどこか冷たいもののようだ。カツンという踵が鳴らす小さな音さえも、この空気の中に溶けて消えていきそうだった。
老年の男がきっちりと着込んだスーツの裾を揺らしながら、規則的な靴音を鳴らしていく。男は、斜め後ろを歩いていた白衣の研究員が口を開くと、その荘厳な表情を僅かに動かした。

「テストの結果が出たか」
「はい。やはり感情機能の強弱によって、情報の処理速度に顕著な違いが見られます。ここ最近は特に」
「アルファの方はどこまで完成している?」
「先週簡単な情報処理テストを行いましたが、やはり複雑な感情がない分、処理速度が高速化していますね。その分身体機能も強化できます。来週には人工化身の実装試験が行えるかと」
「そうか」

ボードに挟まれた紙を何枚かめくり、研究員はいくつかを事務的に呟く。一番上に綴じられている紙には、無表情な少年の写真と、何か詳細な事柄がびっしりと書かれていた。

「しかし…」
「ベータか」
「はい。彼女の方は同期のたびに少々問題が発生しまして…前回修正をしたのですが、やはり今回も同様に」
「これで3度目か…」

靴音は止む。足を止めた男は掌で顔を半分覆い、小さな溜息をついた。

ヒューマノイド。
世界意思決定議会、エルドラドの議長トウドウが発案したプロジェクトだ。勢力を増すセカンドステージチルドレンに対抗するべく、優秀な人間を一から造るというものだった。
タイムジャンプにおいて数々の時間で得たデータを収集し、蓄積する。身体機能の発達と共にエルドラドの意思を反映させる事のできる最高の人間。そんな理想をコンセプトにして、実験的に2個体のヒューマノイドが製作された。

感情の有無で作業に違いが出るかを見るため、片方は感情の発生を抑える個体に。もう片方は感情の発生を著しく見られる個体に。
そうして同時期に生まれた『アルファ』と『ベータ』は、互いの収集した情報を共有する同期という機能を有している。
しかし、同期するたびにベータにはある問題が発生するのだ。繰り返すこと、これで3度目だった。

「ですが、ベータの方は一昨日化身を発現させました。感情から来る純粋な化身です。強さは人工化身をはるかに凌ぎます」
「誰もベータを処分するなどと言っていない。これだけの技術の集大成だ、数度のミスでとやかく言う事もあるまい。いつものように、問題部分だけ修正すれば良い」
「ですが、これ以上の記憶の消去は人格部分に問題が発生する可能性が…」

男の眉間の皺が深くなったのを見て、研究員が焦りを見せた。それを軽くいなし、止まってしまっていた歩を進めた。男はそれ以上何も口に出さず、ただ冷たい廊下に固い靴音だけが響き渡る。その廊下の最奥、一際大きな扉の前で歩みを止め、引き結んでいた唇を僅かに開いた。

「…修正は修正だ。準備を」



「パパ!」

扉を開けると、光が弾けたような笑顔で少女は男に駆け寄った。
6、7歳くらいの幼い少女だ。だだっ広い部屋には大きなジグソーパズルや、空間ディスプレイに映し出されたいくつものクロスワードが散らばっている。その中で今さっきまで作っていたであろう、未完成のトランプタワーが目についた。

「邪魔をしてしまったか」
「ううんいいの、パパが来てくれて嬉しいです」

男の腰くらいまでの身長しかない小さな身体で、力いっぱい抱き着いてくる少女。『ベータ』の様子は最後に会った2週間前からあまり変わっていないようだった。
父と慕う男との面会が嬉しいのか、ベータは年相応の子供らしく目を細めて笑った。だが彼女が完成させた玩具たちは、どれも目を通せば子供が一人で完成させられるようなレベルのものではないのがはっきりと分かる。横長のパズルはベータの身長よりも大きさがありそうだ。

「化身を出したそうだな」
「はい。わたしの友達です。アテナっていうの。とってもいい子です」
「そうか。ベータは優秀だ」
「…でも、まだうまくコントロールできなくて。あれもすぐ壊しちゃいますし」

ベータが視線をやった先には、あと一段で完成というトランプタワーがあった。男はそれをちらと見てから、彼女に視線を落とす。

「完成したらパパに見せたいと思ってたのに、ダメでした」
「身体がまだ化身の力に慣れていないのだろう。むやみに身体を強化しても無理が生じる。少しずつ慣らしていけばいい」
「でも、アルファは」

今まで俯いていたベータが顔を上げる。大きな瞳は、ただまっすぐに男の顔を見上げた。

「アルファは、言われたこと全部こなして、身体も強くて…なのに不安がってます」
「アルファが、不安だと?」
「同期したら分かるの、アルファの考えてること…すごく微かだけど。パパが来ないって、不安がってます」

感情の発生を抑えるよう作られたアルファも、完全に感情が生まれないというわけではない。作業に支障を来すものならば、その部分のみ外部信号によって消すことも可能だが、今まで彼に対して実施したことはなかった。アルファのコンセプトのために、男が彼のもとに会いに行ったこともほとんどなかった。
そんな二人が、情報共有のための同期によって、個体間の感情が行き来しているというのだ。普段別離され、ほとんど会うことのない二人が、まるで兄妹のように。

「……アルファに会いたいなあ」

ベータは男に抱き着いていた腕を離し、部屋の中で唯一の窓の方へ視線をやった。
あたたかな光を受け、外を駆けまわることが出来るのは、感情を持つことを許されたベータだけだ。窓の外、どこか遠いところを見つめながらそう呟くベータの表情は、男からは見えない。

(――これももう3度目だ)

男はベータの手を取り、扉の方へ向き直った。ベータが男を振り返れば、彼は視線を交えることなく、決められた動作で扉のロックを解除し、歩き出す。

「ベータ、調整があるからついて来なさい」
「調整?はい、パパ」
「……マスター、だ。間違えるな、ベータ」
「はい、マスター」

そう笑った彼女の手を引いて、男は部屋を後にする。このやりとりももう3度目になる。男は何も言わない。ただ、歩き出した先の廊下は吸い込まれそうなほど暗く、冷たい空気に満ちていた。それだけだ。
扉が閉まる直前、ベータが部屋を振り向く。ただぽつんと、完成させられたことのないトランプの塔だけが、二人のことをじっと見つめていた。


::120729
何度も議長を父と思い込むベータちゃん


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