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「ロボットの引き渡し?」

朝食の食パンの、最初の一口を齧る直前。毎日一度の家族全員が揃う小さな家族会議の場で、父さんはそう言った。思わず取り落としそうになったトーストを皿に戻し、目の前でコーヒーを啜る父さんを見る。

「この前、父さんの親会社のご子息が亡くなっただろう」
「…神童財閥の?」
「ああ、彼のとこのロボットなんだそうだ」

父さんの経営する会社は、日本でも有名な神童財閥の下請企業だ。俺も少しだけ「彼」については知っている。昔から身体の弱かった神童家の子息は、ついこの間死んだのだ。いっこ上で同年代の同性とはいえ、直接的な関わりは一切ないから、悲しさや寂しさなんてものはほとんど感じなかったのだが。
ロボット工学が発展した現代でも、家庭でそれを所有できる家は未だ少ない。だが神童財閥のことだ、身体の弱い子息のために世話係のロボットの一台や二台、あっても何ら不思議な事はない。問題は、なぜそのロボットが中流家庭のうちに預けられるか、だ。

「何でうちが神童家のロボットを引き渡されるんだよ?」
「それがな、何でもそのロボットに難ありらしくて。財閥の跡継ぎ問題とかでバタバタしてるし、手に負えないんだそうだ」
「…それで下請けの家を転々として家に?」
「まあ、分かりやすく言えばそうだな」
「……はあー、父さん。それって結局厄介払いじゃん……」

朝から胃が重くなりそうな話を聞かされた。椅子の背もたれに背を伸ばして大きな溜め息を吐けば、今日一日の心持ちが曇天のように重くなった気がする。皿の上のトーストはすっかり冷めてしまっていた。



二学期初日。朝から気が晴れないまま校門をくぐる。俺が学校から帰る頃には件のロボットが届いているらしいが、こんなにも家に帰りたくないと思ったのは初めてだ。ちゃんとした整備がされているロボットであればそりゃあ便利だし大歓迎なのだが、壊れているとなると話は別だ。うちで廃棄を任されるか、最悪本当にぶっ壊れて動かなくなるまで預かっていなければならなくなるかもしれない。なぜ神童家は早々に処分しようとしなかったのだろうか。廃棄費用なんて、神童家くらい金持ちの家ならパッと出せるだろうに。

「狩屋、おはよ」

そう悶々と思い悩んでいると、ふと後ろから名前を呼ばれて振り返った。見知った顔が小走りで駆け寄り、俺の隣に並ぶ。

「おはよ、天馬君」
「僕もいるよ!」
「ん、おはよう信助君」

同じクラスの仲良し二人組である天馬君と信助君は、二学期初日から仲良く揃って登校らしい。でもあいさつを返した時に見た、普段馬鹿みたいに明るい二人の表情や声が少しだけ寂しげに見えるのは、やっぱり神童先輩のことが原因なのだろう。心の隅で何となく察し、会ったことも無い先輩相手によくそこまで、と妙に感心してしまう。だから冷たいだの冷めてるだの言われるのか、なんて。そんなの自分でも分かっているけど、そりゃあ少しくらいは俺だって、同じ部活のキャプテンの事なのだから、気の毒だなと思う気持ちくらいある。これも他人事のような感覚なのだろうが、現実味が薄いせいでそこまで親身になれないだけだ。

案の定、新学期恒例の集会では神童キャプテンに関する話が理事長の口から語られた。まだ夏の気温が残る体育館は、ただでさえ生徒数が多いこの学校のことだから蒸し風呂状態になる。
そんな人のひしめき合うこの天然サウナの空気が、マイクの拾う話によって妙な空気に染まっていくのがありありと分かった。分かっちゃいるけど、やっぱりこういう雰囲気は苦手だ。だから俺は大人しく、自分の上履きの汚れを見つめながら早く時間が過ぎることをじっと願った。

想像したくもなかった放課後の部活でも、空気は最悪の一言で、先輩たち、特に2年生の沈みようったらなかった。
あんな空気の中にいたんじゃやっていけねーよ、なんて心中で愚痴を漏らしながら、今だけは自分がセカンドチームであることに感謝した。こんなどんよりと湿った雰囲気のファーストグラウンドになんて行ったら、おかしくなりそうだ。ただでさえ今は家に帰りたくないのに、学校ですら居心地の悪さはどっこいどっこいだ。微妙に勝っているかもしれない。
その雰囲気にあてられたかのように徐々に元気を失っていく天馬君たちを横目で見て、これ以上セカンドグラウンドの方も湿度が上がらないことを祈りながら、部活の時間をやり過ごした。


玄関のドアは鍵を差し込めばすぐに開いた。玄関には母さんの靴と俺のスニーカーしかない。父さんはまだ帰っていないようだ。

「ただいまー」

重い足を引きずってそれだけ告げ、リビングを素通りして階段を上る。きっとロボットがどうだとか言われて無理にでもリビングに連れてこられるのだろうから、とりあえずこの重い鞄だけでも放り投げてしまいたい。部活から帰った後はへとへとになるのがいつもの事だけど、今日はそれに重ねて気疲れしたせいで、身体にのしかかる重みは二倍にも三倍にも感じられる。
玄関よりも気温が高い自室のドアを開け、文字通り鞄をベッドの上に放り投げた。このまま夕飯まで柔らかな布団にダイブして寝てしまいたいくらいだけど、額やら背中やらにじっとりと滲んだ汗のせいでそうもいかない。本日何度目かの重苦しい溜息が口から漏れた。

「マサキー、来てー!」
「…んー」

来たよ、この瞬間が。自分でも恐ろしいほどに面倒臭そうな声が喉から出た。ロボットなんて珍しいもの、いくら厄介払いのために押し付けられたものだとしても母さんにはきっと興味をひかれるものなのだろう。普通だったら俺だってそうだった。でも父さんから聞いた話と、今日一日の学校での疲労から、もう放っておいてくれという心持ちだ。
仕方なしに階段をゆっくりゆっくりと降りて、リビングの扉を開ける。母さんの輝くような笑顔が迎えてくれた。あまり嬉しくない。

「今日届いた例のロボット。ねえ、すごくリアルじゃない?壊れてるようには見えないわよねえ。コミュニケーション型なんだって、マサキ仲良くなれるんじゃない?」
「……」

俺が喋る隙も与えてくれない母さんの声は、珍しいものを見た興奮からかいつもより高い。でも母さんが両手を添えるその肩を、じっと俺を見据える瞳を、俺と大して変わらないように見える外見を目にして、俺の心は逆に不思議なくらい落ち着いていった。扉を閉めることも忘れ、その場に棒立ちになったまましばしロボットと目を合わせる。
ロボットだから人間じゃないのに、人型だけど人間じゃないのに、人間に見えるはずなのに、――人間じゃないみたいだ。

「何か喋れるのかな」

母さんの声に、ロボットは今まで瞬きひとつしなかったその大きな目を一度、ぱちんと瞬かせる。母さんを見、そして未だドアノブを持って突っ立ったままの俺に視線を合わせ、たった一言、ぽつりと呟いた。

「……シンドー」



01 humanity


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