稲妻2 | ナノ


東京湾を出て東に進んだ所に、地図には載っていない小さな島がある。政府がある目的のために作った人口島で、俺はこの離島に住み込みで勤めている。
医療技術や科学が目まぐるしい発展を見せる時代だが、どうしてもまかない切れないものがあった。この島では、その不足を補うための研究と提供を行っている。

「…明日、なんですか」
「ああ。それまでの間彼の事を頼むよ、源田看護主任」
「…はい」
昼間は温かな光が建物に溢れる。入ってくる風や光は同じものなのに、本土にいた時とは僅かに雰囲気が異なるようだ、といつも思う。それは多分、ここが現実とは一線を違えた場所だからなのだろう。

この施設は、臓器提供用のクローンを生み出している。
施設ではたくさんのクローン人間(俺たちは彼らを『提供者』と呼んでいる)が生活しているが、臓器を搾取されてやがて死んでいく彼らを見るのは、今でもやはり心が痛む。
彼らの看護と精神のケアをするのが俺の仕事だから、死ぬ瞬間は何度も見ている。初めて担当になった提供者が死んだ時、この社会のシステムを呪った。だが、当時の先輩が言うのだ、感情移入し過ぎてはここではやっていけないぞ、と。

それから数年経ち、俺は提供者が死んでも涙を流さなくなった。いつしか気付いていた。それが『仕事』なのだ、と。

「佐久間、調子はどうだ」
「…別に、いつも通りだけど」
特別棟の突き当たりの個室に、彼はいる。
この閉鎖された特別棟は、提供者の中でも臓器提供が出来ない者、例えば彼ら自身が病を患っている者などが集められている。
この施設で臓器の提供が出来ない者は、ただのがらくたのように扱われる嫌な風習があった。彼らはそこで処分となるまでの間を過ごすのだ。


佐久間という名前の少年もその一人だ。佐久間は生まれてからずっと病を患っていて、既に身体中の臓器と右目はほぼ使い物にならなくなっている。
部屋は数週間毎に移動になる。突き当たりに部屋が近付くにつれて処分される日が近付いていく特別棟で、佐久間がこの個室に移ってから一週間程経っていた。佐久間の処分は、明日に決まったそうだ。

「向き変えられるか?体拭くから」
「何もあんたがやんなくても良いんじゃないのか」
「良いじゃないか、別に」
佐久間はゆっくりと身体を右下に倒し、やせ細った背中をこちらに向けた。床擦れにはなっていないが、肋骨が浮き出た身体は痛々しくみじめに見える。

「なあ、俺あとどれくらい?」
背中を向けながら振り向かずに佐久間はそう呟いた。今までそんな事を言わなかった佐久間が急に消え入りそうな声を出したので思わず手を止める。全てを知っているのにそれを隠すように明るい声を作るが、やはり自分には嘘は向いていない。ぎこちない奮えが唇から漏れた。

「何を言ってるんだ、らしくないぞ」
「…あんた、全部知ってて嘘ついてるだろ?顔に出てる」
「…佐久間」
「…なんてな。良い、寝る」
佐久間は晒された片目を僅かに細めてふっと息を吐くと、そのまま腕を差し出してきた。最近の佐久間は薬を使わないと眠れないのだ。俺は注射器を取り出して、佐久間の細くなってしまった腕に宛がう。少しして佐久間が蚊の鳴くような声で呟いた。

「ほんとはさ、俺死にたくないんだ、」
「……」
「せめて、夢くらい幸せで、…」
「大丈夫だ、…きっと見られる」
「…な、明日また来てくれ。…聞いてほしい んだ」

即効性の薬によって口が回らなくなってきた佐久間の言葉を拾い、俺は胸がぐっと詰まって思わず佐久間の手を握った。それは確かに温かな人の体温が通っていて、忘れかけていた涙を思い出す。
俺だって確かな人間だ。

「ああ、聞く。お前が見た夢、全部聞いてやる。…だからもう、眠れ」

俺の言葉に、佐久間は握られた手を緩く握り返して小さく微笑んだかと思うと、次の瞬間には眠りに落ちていた。

佐久間の処分は明日の朝6時だ。今日の夜にはこの病棟から出され、専用の建物の個室に入れられて朝日を待つ事になるだろう。俺は佐久間に嘘をついた。明日なんてもう来ないのだ。
明日、俺が病棟を回る頃には佐久間のいたこの部屋は空になり、ベッドは小綺麗に整えられ、佐久間のいた証は全部無くなっているだろう。それこそ、明日佐久間が迎える処分の内容のように、綺麗に細胞ごと分解されて何も残らないかの如く、真っさらに。

それでもちゃんと掌越しに生きている暖かさがある。小さく脈打つ指先が握られている。きっと、これからもずっとこの温度が忘れられない。


Thanks:亡霊