稲妻2 | ナノ

結局曖昧な気分のまま斎場に向かったは良いものの、集まった俺以外のメンバーはこぞって涙目になっていたり、沈んだ様子だったりで、妙な疎外感があった。洞面は泣き、成神は心ここに在らずという感じで、咲山は俯いて顔を上げようとしない。
源田の両親に挨拶をしに行った方がいいのだろうか、とふと考えて、すぐにその考えを拭い去った。多分そういうことは、もう鬼道さんがしているだろう。あの人は強い人だから、きっと本心を顔に出さずに言うべき事だけを言える。俺はそういうことが苦手だから、足りない俺の言葉でむやみに相手を傷つけたくはない。

棺桶の方に目をやると、辺見がぽつんと一人で立ちつくしていた。白い菊が飾るその祭壇の前に佇む背中は、普段のそれとはどこか違う雰囲気を漂わせていた。いつもより少し猫背なその背中の方へ足を踏み出す。

「フェイスペイント落としたとこ、初めて見た」
「俺も。特徴ない顔になったな」
「言ってやるな。源田なりのこだわりがあったんだよ、きっと」
「…そうかよ」

大きめの棺桶の中で、少し窮屈そうに寝かされている源田の顔は、いつものペイントが落とされて、こんなことを言うと怒られそうだが、いつもより地味な顔になっていた。代わりに死化粧が施されていて、化粧のせいだけではないが、普段俺が見ていた肌より白くなっていた。すました様なその顔は、固く目と口を閉ざしたままぴくりとも動かない。でも不思議なことに、その表情はどこか穏やかだった。

「腹立つ。幸せそうな顔しやがって」
ボソッと呟くと、辺見がこちらに振り向いて微妙な顔をする。一度零した言葉は、もう自分の力では止められない。

「辺見ィ、こいつさ、俺よりしぶといかと思ってたのにさぁ、何なんだよな、勝手に死んで。俺、こいつと入院してた時に話してたんだよ。俺もお前も馬鹿やって鬼道さんに迷惑かけたから、ちゃんと謝るまで絶対死ぬなって。俺サッカーできなくなるかもって思ったら不安でさ、ムキになってあいつに言ったんだよ。お前が死んだら馬鹿な奴って笑ってやるって。約束破った嘘つき野郎って。そしたらあいつ何て言ったと思う?『それで佐久間が笑うなら良い』って言ったんだぜ?ほんと馬鹿。マジで死にやがって。誰も笑えねえよこんなの、」


ただひたすらに棺桶の中の源田の顔を見下ろしながら喋る。最後はもう涙声になっていて、我ながら情けない。でもやっと自分の気持ちが、少しだけ、分かったような気がした。

(―俺は、寂しいんだ)

視界の端に鬼道さんが映り、それは近付いて俺と辺見の隣で止まる。鬼道さんが口を開いて俺の名前を呼んだ。それでも加速する思考に合わせて唇は勝手に言葉を零していく。ボロボロと嘲笑うように。

「佐久間、」
「あいつが死んだら誰が帝国のゴールを守るんだよ。誰が鬼道さんの右腕になれるんだよ。そうですよね鬼道さん」
「佐久間、やめろ」
「あいつ以外出来ないこと沢山あるのに、誰も代わりがいないのに、来年の大会では鬼道さんが戻った帝国メンバーで一緒に雷門倒そうって約束したくせに、簡単に破りやがった」
「佐久間、もういい、もう良いんだ」
「馬鹿源田、俺たち残して死ぬなよ、源田、源田、」
「…っ佐久間!」

諭すように、叱咤するように、鬼道さんは俺の名前を口にした。――瞬間、後頭部に鬼道さんの手の平が乗って、頭を胸に押し付けられる。ふわりと風が起こり、涙が鬼道さんの制服に染みを作る。この場の空気に似つかわしくない、温かで優しい香りが俺を包んだ。

「…ゆっくりで良いから、俺たちだけにしか分からない大きさで、全部話してみろ」
そう言った鬼道さんの声は緩やかに水に沈むような低さで、だけど冷たくなくて、心地好い温かさを含んでいた。それに促されるように開いた口からは、空気を吐き出す音に混じって枯れた様な声が出た。堪えられなくなって背中に手を回す。鬼道さんの制服に皺が寄るが、意思に反して力はこもるばかりだった。震える背を鬼道さんの手が優しくさする。

「…源田、最後に見たとき笑ってたんです。笑って『また月曜にな』って言ったんですよ」
「……」
「なのにその次の日にはもう死んでるとか、有り得ないですよほんと…」
「…そうだな」
「やっと俺の脚が治ったのに、公式戦のひとつもできやしない」
「…ああ」
「……なんで、しんだ、んだ よ、」
「……本当に、そうなのにな、」

嗚咽は止まることを知らず、声を上げて泣くことも出来ず、しばらくそのままでいた後、棺桶の中を振り返った。源田の両手は掛けられたユニフォームに隠れて見えない。俺達の背中を守っていた大きくて優しい掌は、胸の上で大人しく組まれているのが似合わない。どんな強いボールも受け止め、俺達に繋いでくれる、強い掌だ。
手を伸ばして触れた源田の手は、恐ろしい程に固く、冷たかった。鼻を啜る音と、ポツリと呟いた名前が、冷たい空気の中に反響して消えた。


明日には源田は骨だけになる。写真の中の笑顔も、俺たちの背中を守っていた手も、全部無くなる。落ち着いた声も、固い髪も、切れ長の目も、何もかも。


一通りの事が終わり、棺桶に蓋が被せられる。目の前の成神がガクリと膝を崩したのを、辺見が受け止めた。これが本当に、最後の最後。

最後に見た源田の顔が無表情で、本当に良かった。


本降りになってきた雨が、ざあざあと音を立てる。
いつか、こんな雨の中を歩いた気がしたが、よく思い出せない。笑った源田の顔が頭にこびりついて、少しだけ剥がれた。今はもう、それで良い。

綺麗な思い出を思い出せない俺を、どうか笑って欲しかった。その優し過ぎた笑顔で。


メロウレイン



(源田、傘忘れた。入れろ)
(ああ、ほら濡れるなよ)
(…お前が肩濡らしてちゃ意味ないだろ)
(佐久間に合わせるとこうなるんだ)
(…ちっ、お前なんか風邪引いちまえ)
(はは、ごめんな佐久間)