せわしなく流れていく景色は、近くのものほど霞んでいく。小刻みな微振動を与えてくるシートに深く腰をかけ、極彩色のモザイクとなっていく景色をただぼんやりと見つめていた。 「足元あったかい」 隣に座る円堂くんは自分の座席の下あたりに視線を落としながら呟いた。空席ばかりの電車では、ただそれだけの声でさえ響いては車輪の音の中に混じり、消えていく。 「最近は少し寒いね」 「ヒロトは厚着だよな」 「俺、寒がりなんだ」 秋も終わりに差し掛かっていた。肌寒い風は車内では少しの間だけ忘れられる。羽織ったシャツの糸のほつれだとか、薄汚れた靴の縫い目だとか、そんなものたちに気をとられている振りをして、彼の言葉に差し障りない返事をした。 FFIが終わり、日本に帰国しても尚心の奥につっかえたままの何かは取れることなく留まり続けていた。 それは一体何だっただろうか。一度はその輪郭を指先でなぞり、重みすら両の掌で感じ取ることができたはずなのに。今では薄ぼやけてしまった感情の正体を、まるで流れていく景色のようだとふと思った。その感情に名前をつけるには、まだ早い気がする。あるいはもう、その機会を失ってしまったかのような。 「急行だからあと二駅通り過ぎるのかあ」 「このあったかさに慣れると、外に出るの何か気が引けちゃうな」 「そんな事言ってないで、ヒロトは俺より厚着してるんだからさ」 軽い冗談に笑った円堂くんは、そのまま足を小さくブラブラとさせた。子供っぽいその仕草に意図せず笑ってしまうと、そのアーモンドみたいな丸い瞳がふたつ、俺のそれに向けられた。キョトンと呆けたような表情で、まるで小さな子供みたいに。 一つ目の駅を通り過ぎ、しばらく中身のない話を続けていると、ふいに生まれた沈黙の中にぽとんと一粒、彼の声が落とされた。 「もうしばらく帰れないのか?」 「そうだね…長い休みには帰りたいとは思ってるけど」 「そっかあ…寂しくなるなあ」 電車のアナウンスがもうすぐ停車することを伝える。視線を合わせることができないまま、足元の温かな空気と車窓から見えるモザイクは変わらなかった。 寂しい。彼はそう言った。 「頑張りたいんだな」 「うん……」 「ならそんな顔すんなよ。俺だってここから応援してるからさ。ヒロト」 ああそうだ、俺はこの笑顔にこうやって何度も背中を押されてきたんだ。 その笑顔が俺はずっと大好きで大切で、それでも報われないことに悲しんで、いつの間にかしまい込んでしまっていたんだ。一度は手に取った気持ちを、友情の箱の中に押し込んで。 だんだんと景色が鮮明になっていく。俯いていた顔を上げ、引き結んでいた唇を開いた。 「円堂く――」 ゴッ、と、すれ違った列車で掻き消された。目が合ったまま止まる時間を、アナウンスが現実に引き戻す。 「どうしたんだよ、ヒロト?」 そう、笑っていた。しょうがないなあと言うような温かな声。大好きだった彼の声。 彼の声で紡がれる名前だけでひどく満たされた。それだけでもう、幸せだと感じるほどに。 「……何でもないよ」 電車が緩やかに止まる。遠く見えていた景色はもう見えず、車内にはただそう言う俺の声だけが響いた。 温かなシートから腰を上げ、ドアを跨ぐ。自分を勇気付けるために心の隅でぽつりと、彼の名前を呼んだ。 外から入ってきた空気は、身震いするほど冷たかった。 ::111007 ::無雲さんへ。ヒロトと電車という組み合わせが好きです。 |