風のない日だった。てっぺんに昇った日差しは数日前よりも少しだけ柔らかく、蝉の声も幾分か小さくなった気がする。 「バダップ、今日の夕方には帰っちゃうんだよね」 「ああ」 「それじゃあ、特別なことなんにも出来ないよね」 「そうだな」 カノンは少し言い淀むように遠回しに告げる。一言を言う度に短い間をあけ、次に言う言葉を探しているようだった。 「どこに行くことも、何をすることも、時間がないからさ」 「……」 「バダップ、俺ずっとバダップともう一度サッカーしたかったんだ」 「……」 「だから……」 カノンは足元のボールを拾い上げ、バダップと目を合わせた。 「サッカー、やろう」 バダップはカノンと目を合わせたまま、小さく短い溜息をついた。カノンがそれに息を詰まらせるように何かを言おうとすると、先にバダップの方が口を開く。 「大方そんなところだと思っていた」 「……」 「別に構わない」 「あ…ありがとう!」 カノンの表情がみるみる笑顔に変わっていく。バダップはその変化を心の隅で面白いな、と思いながら距離を取った。視線の先でカノンが勢いよくボールを蹴る。 「いくよ!」 その笑顔がいつかの彼にとてもよく似ていたから、少しだけ心を抓られるような痛みと懐かしさを思い出してしまった。 * 「バダップ…ほんとに、ブランクあったの…?」 「あれからサッカーはしていなかった」 「嘘でしょ…何か前より上手くなってない…?」 「お前が夏でバテているだけじゃないのか」 汗で張り付いたシャツをパタパタと煽ぎながら、カノンは地べたに座り込む。バンダナの下にじっとりと浮かんだ汗の玉を手の甲で拭ってバダップを見上げると、信じられないくらい平然としていた。 「バダップ汗かいてない」と指摘すれば、「あまり汗をかかない体質なんだ」と手を伸ばされる。その手を掴んで引っ張り上げられると、自分よりも低い体温を直に感じた。 「何か俺、バダップとこんな風にサッカーできるなんて想像もしてなかった」 「…それは俺も同じだ」 「不思議だよね。ちょっと前までは名前も知らなくて、学校も違ってて、絶対会うことなんてないような関係だったのに」 カノンは引き起こされたままバダップの手を離さずに呟く。俯いたカノンの視線は地面に落とされ、いつの間にか夕方になってしまったことを表すような長い影を見つめていた。カノンの頭の天辺を見ながら、バダップは握られた手が僅かに震えていることに気付いた。 バダップは少し考えるように間をあけ、やがてゆっくりと静かに口を開く。 「…謹慎をしていたと言っただろう」 「!うん、」 「未成年への重い罰則は、学校という模範とされるべき機関では普通行えない。だから俺たちに下された罰は当面の謹慎だった」 「うん…」 「あれから軍部への監視が強まったんだ。時間移動を法を無視して使ったことが原因で」 カノンは垂れていた頭を上げ、バダップの両目を見る。少しだけ手の力が強くなった。 「信じていたんだ。俺たちのしている事を全て。だから円堂守も恨んだ。邪魔をするお前たちのことも、全て」 「バダップ…」 「救われたかったのかもしれない。こんな話をすることでお前にも、誰からも」 静かにそう言って、バダップは双眸を伏せた。カノンは握ったバダップの掌に、もう片方の手を重ねる。二つの温度が溶けていく気がした。 バダップが重ねられた手に目を開け、カノンと交互に見やる。今までに見たことのない表情だった。 「話してくれたのが俺で嬉しい。良かった、本当のこと言ってくれて」 「……」 「俺、もっとバダップといたかったなぁ」 「……」 「…でも、もう時間みたいだ」 握られていた手がゆるりと解けた。その瞬間今まで凪いでいた風が二人の頬を撫ぜて通り抜けていく。まるで夏をさらっていくような涼しい風だった。 「今度いつ会えるかな」 「冬に、なると思う」 「じゃあそれまで待ってる…だからまた」 「…ああ、また」 バダップがそう微笑む。それが今までで一番優しい笑顔だったから、カノンは目の奥がツンとする感覚を覚えた。喉に迫ってくるものを空気と一緒に飲み込み、震える唇をつり上げて下手くそな笑顔を作る。 「ありがとね、バダップ。ありがとう。すごく楽しかった。最高の思い出だよ」 「…俺も、何もかも新鮮だった。……ありがとう、カノン」 カノンの目が見開かれる。初めて呼ばれた名前の音にどうしようもなく奥から奥から感情が迫ってくる。視界の隅がぼやけていく。 そんなカノンを前にしてバダップは「それから、」と控えめに呟いた。髪を吹き抜ける風がほんの一瞬だけ、時が止まったかのように凪いだ。 「…俺と、友達になってくれないか」 |