カノンに指定された時間は夕方だった。既に日も傾き始めているというのに、こんな時間から何をしようというのか。バダップはカノンの考えが掴めないままいつもの鉄塔広場に足を運んだ。 そこには既に見慣れた影が落とされていた。こちらに気付くと大きく手を振り、彼の曽祖父にそっくりな満面の笑みで名前を呼ぶ。 「今日は俺の方が先だったね!」 「珍しいことだ。…それで、こんな時間から一体何をしようというんだ」 「それは行ってからのお楽しみ」 カノンはバダップの手を引いて、鉄塔広場の階段を下りていく。心なしか一段と機嫌が良さそうだ。軽い足取りと共に鼻歌など歌っている。 そのまま二人は広場を離れ、人通りの多い道に入り込んでいった。だんだんと増える人の影に、バダップは未だ繋がれたままの片手の所在を僅かな困惑の眼差しで見つめながら足を進める。 「……手を、」 「あ、ごめん」 思わず出てしまった言葉にカノンが気づき、自分よりも小さな手が解ける。離れた瞬間に掌が生ぬるい風を掴み、どこか物足りなさを感じてしまった。今までなら絶対にあり得ない感覚にバダップが自らを頭の中で叱咤していると、カノンが「ここだよ」と振り返る。 「これは…」 「納涼祭りっていってね、稲妻町では毎年8月の終わりにやってるんだ。すっごい賑わうんだよ」 そう胸を張って言ったカノンに対して、バダップは珍しいものを見る目で辺りを見渡す。今までこんな催しに参加したことはなかった。昔からエリートになるべく教育されてきたバダップは、小さな頃から勉強と訓練ばかりで過ごしてきたからだ。 「盛況だな。だが、どうやってこの催しに参加したら良いのか」 「だいじょーぶ!俺毎年来てるからバダップにもたくさん楽しいこと教えてあげられるよ!」 そう笑ったカノンに、「…頼もしいことだ」とバダップも少しだけ表情を緩めた。 * カノンのパワーはバダップの想像以上だった。毎年参加していると言うだけあって、この祭りに随分慣れていることが分かる。カノンは視線の先にお目当ての屋台を見つけると、そこに向かって一目散に駆けていった。 「あった!俺これ大好きなんだー」 そう言ってカノンが買ったのは、袋に入ったイカ焼きだった。見たこともないそれをバダップは穴があくほど凝視し、カノンに「いる?」と差し出される。それを丁重に断り、タレでむせたカノンの背中を叩いて「何をしているんだお前は」とあきれ顔を浮かべた。 「あ、あれ!バダップあれ行こう!」 「とりあえずもう少し落ち着け」 「何言ってんの、お祭りは騒いでなんぼだよ!」 そう言ってバダップの腕を引いてぐんぐん進んでいく。カノンが目指したのは射的の屋台だった。 「この銃であの景品を撃ち落とすのか」 「そう。こう見えて射的は得意なんだよね」 そう言いながらカノンはコルク銃を構え、三段あるうちの二段目、キャラメルの箱を撃ち落とす。「結構珍しいものがあったりするんだ」と次々とコルク弾を放っていくカノンの眼差しは、真剣そのものだ。サッカーをやっている時とはまた少しだけ違う、子供のようにただ無邪気に一生懸命な瞳だ。 そうして二段目の景品を全て手に入れた頃には、周りにちょっとした人だかりが出来ていた。 しかし残り1発となった時点で、カノンはちょっとした難関にぶつかっていた。三段目の一番小さなマスコットが中々撃ち落せないのだ。的が小さいこともあるだろう。やがて苦戦するカノンを横で見ていたバダップがおもむろにカノンの傍に立ち、口を開く。 「お前はそんなにあれが欲しいのか?」 「欲しいっていうか…一番難しいやつだから。挑戦したいじゃん」 バダップはそう言ったカノンの瞳を横から見ながら少し考えるしぐさをして、隣からカノンのコルク銃に触れた。 「バダップ?」 「俺にやらせてほしい」 「は、え、うん」 珍しいバダップからの頼みにカノンは一瞬呆けた表情になり、そのままバダップに銃を手渡した。銃を手にしたバダップは目標に対して銃口を向け、腰を落とす。切れ長の目が細められ、狙いを定めた。その姿はさすが軍人といったところか、カノンを含めた周りの人間が一瞬息を飲む。そしてその指が引き金を引き、破裂音が辺りに響いた。 一瞬にして景品のマスコットが撃ち落される。一瞬の間を空け、人だかりがわっと沸いた。 「バダップすっげー!すごいよ!あれを一発で撃ち落すなんて!」 「狙撃の訓練はこなしている…だがこんなに人が沸くほどの事なのか…?」 「すごい事なんだって!何か一瞬息止めちゃったもん!」 そう言って抱き着いてくるカノンを何だか引き剥がせず、バダップはされるがままになる。だが自分のことのように喜ぶその笑顔を見ると、つられて自然と口許が弧を描くのが分かった。 そしてそんな感情の揺らぎを責めることも、背中に回された高い体温を拒否することもいつの間にか止めていることに気づいたのだった。 (――呪文より、もっと恐ろしいのかもしれない) |