「忍足ー、国語の教科書かしてー。」
一時間目と二時間目の間にB組のみょうじがやってきた。
「なんや自分、また忘れたんか。」
「違いますー。貸しちゃったんですー。それに、前に借りたのは数学ですー。」
みょうじはよく教科書を借りにくる。
ただ忘れてるわけではなく、大抵考えなしに人に貸したら自分もその教科の授業だった、という間抜け極まりない理由がくっついてる事がほとんどなのだが。
まあ俺はみょうじのことが好きだから、どんな理由であれ訪ねて来てくれるのは嬉しい。教室も離れているのに頼りにされているという優越感じみたものまで感じる始末だ。
もはや手に負えない感情になりつつある。
「しゃあないなぁ。少しは懲りて人に貸す前に自分の授業確認しいや。」
「はーい。覚えてたらね!」
じゃ、昼休みに返しにくる!と言いながら走り去ったみょうじの後ろ姿を見て、ふと自分は何か大切な事を忘れているのではないかという思いに駆られた。
結局思い出せないので、たいした事ではなかったのだろう。
そう思った自分が甘かったことに気がついたのは、授業も終わり、約束通り昼休みにみょうじが教科書を返しに来た時だった。
「忍足!!」
予告通り、昼休みになまえは来た。
なぜか顔を赤く上気させて。
「ああ、大丈夫やった?」
「大丈夫なわけ無いでしょ!!バカッ!!」
真っ赤な顔でそう叫んだみょうじは教科書を投げつけて走って行ってしまった。
クラスメイトの視線が痛い。何かをしたという記憶は特に無いだけに、困惑が大きい。
「…痛いんやけど。どうしてくれんねん……ん?」
顔には当たらなかったものの、腹に直撃したので痛い。
体に当たって落下した教科書を拾い上げると、見覚えの無い可愛らしいうさぎの付箋が付いているのに気がついた。
「なんや、これ…」
付箋のページを開けてみると、そこには自分が犯した大失態が広がっていた。
「…アカン。やってもうた。」
思わず手で顔を覆う。
付箋のページは自分たちがこの間まで習っていたところで、落書きしていたのだ。
先日範囲が終了したため、落書きしたまま貸してしまったことに気が付かなかった。
“忍足なまえ”
つまらない教師の話しを聞き流しながら、結婚したらこうなるんやなーとか思いながら書いた気がする。
死ぬほど恥ずかしい。羞恥心に飲み込まれる。
意図せずとは言え、告白したと同義の状態になってしまった。
いつかきちんと告白しようと思っていて、シチュエーションとか台詞とかいろいろ考えていた。
しかし、それも水の泡。言わずもがな自分のせいで。
でも、これでみょうじが顔を真っ赤にさせていた理由がついた。
落ち込みながら再び視線を教科書に戻す。
「これは…」
“忍足なまえ”と自分が書いた落書きの隣に“忍足侑士”と書き足されている。しかも、ご丁寧に二つの名前はハートで囲われている。
もちろん、俺が書いたものではない。
つまり、貸した相手のみょうじが書いたとしか考えられないのだ。
更に付箋にも文字が書いてあるのが見て取れた。
“忍足のバカ!ちゃんと口で言ってよね(*`へ´*) ”
女子らしい、少し丸い文字で書かれたそれに胸が高鳴った。
「ほんま、これはアカン…」
とにかく、今すべき事は走ってB組へ行ってみょうじを抱きしめる事だろう。
俺は教室を飛び出した。
落書きキューピット
抱き締めた体は思ったより小さく、思った以上に愛しく感じた
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