「おい、なまえ。お前顔色悪いぞ。」
「…え?」


例の夢を見てから数日後の朝一番、始業前の本部で会ったスモーカーに言われた。


「挨拶も無しに随分ね、スモーカーくん。でも確かに顔色悪いわ。隈もひどいし、ヒナ心配。」
「そんなに酷いかな…」


この二人に心配されてしまっては仕方ない。
実はねと、わけを話し始めた。

久しぶりに例の夢を見たあの日からずっと、昨夜まで、同じ夢を毎晩見続けているのだ。当然ほとんど眠れていない。
そう話すと2人は納得したような表情を浮かべた。


「その夢って、例の海底の夢のこと?」
「そう、それ。」


夢の内容について、二人にも詳しくは話していない。海底にいて息苦くて、目が覚めてしまい結局眠れない、という大雑把な内容は伝えているが、彼が出てくるということは伏せている。
せっかく忘れる手助けをしてくれたのに、それを無下にするような夢を、不可抗力とは言え見ているとは言いにくかった。



「何か意味がある夢なのか?それ。」
「…さあ、どうだろう。」


スモーカーが探るような目で私を見てきた。この男は妙に鋭い。ずっと隠し通す事などできないとわかっている。それでも、私には隠しておきたい理由があるのだ。



「そんなに寝れてないなんて、さすがに仕事に差し障り出てきそうだけど大丈夫なの?」
「んー、そろそろまずいかも。でも明日休みだし、なんとか寝てみるよ。」


そう言って曖昧に微笑んでみるも、ヒナは疑わしげな目線を寄越してきた。本当に寝れるの?とでも言いたげだ。実際眠れるとはあまり思っていない。ただ、一日体を休めるだけでも意味はあるだろう。

その時、それまで何か考え込むように黙っていたスモーカーが声を上げた。


「酒でも飲んで潰れちまえばいいんじゃねェか?」
「酔い潰して無理やり寝るの?体には良くなさそうじゃない、それ。あまりお勧めできないわね。」
「薬で寝るよりはましだろうが。」
「…それもそうね。そう考えると、スモーカーくんの方法が一番手っ取り早いのかも。じゃあ今夜飲みに行きましょう。たしぎも誘って。」


唖然とする私をよそに、話はどんどん進んで行く。飲みに行くことは既に決定事項のようだ。今はどんなメンバーで行くかで二人が揉めている。


「たしぎだと?ならヒナ、お前の部下の…ジャンゴとフルボディだったか、あいつらも連れて行くが。」
「…だめ。それなら3人で。」
「フン。妥当だな。だが、お前明日も仕事だろう。止めとけ。なまえが潰れるまで飲むんだ。あいつザルだぞ、忘れたのか?業務に支障が出て困るのは自分だろ。」
「何その言い方!ヒナ心外。あなたこそどうなのよ。私の心配より自分のこと心配したら?」
「おれも明日は休みだ。」
「……」
「決まりだな。」


スモーカーがにやりと笑った。
どうやらメンバーは決まったらしい。
私とスモーカーの2人。知らない人がいる中で込み入った話はできないから良かったけれど、スモーカーと2人で飲むのは覚えている限りでは初めてだ。どんな状況になるのか、想像もつかない。


「なまえ。」
「ッ!…何?」
「んな驚いた顔すんな…仕事定時で終わらせろ。迎えに行く。」
「ん。わかった。今夜はよろしくお願いします。」


ちょっとおどけて頭を下げてみる。
スモーカーもヒナも葉巻や煙草を咥えた口の端を持ち上げてちょっぴり笑った。



「あ、スモーカーくん。私がいないからって変なことしちゃダメよ。」



ひとしきり話してそれぞれ仕事に向かおうとした時、ヒナがそう言った。


「するわけねェだろ。バカが。」


そう答えたスモーカーは額に青筋を浮かべ、口の端をヒクつかせている。


「私はスモーカーのこと信頼してるからね?」


一種のジョークだ。3人とも小さく笑ったが、私はヒナがスモーカーを意味ありげな目で見ていたことに気がついた。この意味は私にはわからない。わからない、ふりをする。

そうして、なかなか執務室に来ない上司に痺れを切らして迎えに来たそれぞれの部下に追い立てられて、私たちは仕事を始めた。




その夜。
約束通り定時で仕事を終わらせ、一度帰宅して着替えた私をスモーカーが迎えに来た。
いつも通りなのは口に咥えた二本の葉巻だけで、ラフな黒いシャツにハーフパンツの彼は普段とは全く違う印象を受ける。もっとも、ブルーのノースリーブに白いショートパンツといった私の服装も、彼に全く違う印象を与えているだろう。オフに出かけるの自体が随分久しぶりだ。


「行くか。」


私がドアに鍵をかけたのを確認するとスモーカーがそう言った。


「ええ。ところで、どこに飲みに行くの?」
「…とりあえず着いて来い。」
「着くまでのお楽しみってこと?」
「…」
「ちょっと何か言いなさいよ。」
「…ククッ。拗ねんな。いつものとこだ。」


笑いながら私の頭をポンと撫でる大きな手に、どくりと心臓が跳ねた気がした。



いつもの所。そう言われて着いた場所は、かつて四人でよく飲みに来ていた居酒屋だった。
彼が亡くなってからあまら来ることもなかったそこは、昔とほとんど変わっていなくて、私の胸に小さな痛みを与えた。

懐かしい暖簾をくぐって店内に入る。ザワザワとした纏まりのない、雑多な雰囲気がある意味心地良い。



「空きっ腹に酒ってのも何だな…何か食いたいもん、あるか?」
「んー、無いなあ。スモーカー、適当に頼んでよ。お酒も。今日は全部任せる。」
「…ああ。」


メニューに目を通したスモーカーが店員を呼んで注文するのを横目に、私は上体を倒しテーブルの上に顎を乗せ、だらけきった姿勢になった。

そう言えばスモーカーは私を酔い潰すと言ってたけど、帰りはどうするつもりなのだろうか。
注文し終えて葉巻をふかしているスモーカーに声をかけた。


「ね、スモーカー。私が酔い潰れたらどうするの?」
「あ?家まで送ってやるよ。」
「そりゃそうしてもらわないと困るけど…鍵とかどうするの?」
「…悪りぃ。忘れてた。今のうちに鍵貸せ。明日返しに行ってやるから。」
「あ、はい。」


鞄から自宅の鍵を取り出して手渡す。
この男は見た目に反してとても面倒見がいい。本人に言ったらものすごく渋い顔をされそうだけど、付き合いの長い人間ほどそう感じるはず。今度たしぎちゃんに聞いてみよう。


ほどなくしてスモーカーが注文した料理と大量のお酒が届けられた。
お酒のほとんどは、アルコール度数はそこそこ高いくせに飲みやすいものだ。中には度数が低いものもあって、そういうところに細かい気遣いを感じる。


「おら、弱いやつから飲んでけ。」
「ん、ありがと。」


そこから二人で、ちょいちょい話しながらお酒を飲んで、料理をつまんでを繰り返した。
これがヒナと二人きりなら、彼女のマシンガントーク、主にヒナを慕う二人の部下に関しての愚痴が始まるし、三人だとスモーカーとヒナの言い合いが勃発して私がそれを諌める。とにかく賑やかになるのだが、こんな風に静かに飲んでいるのは初めてかもしれない。
正直、スモーカーと一緒にいるのは心地良い。彼は私を包み込むのに丁度良いサイズになって、居心地の良い場所を提供してくれているように感じる。誰に対してもそうしているのかどうかは知らないけど、こういう所はスモーカーの魅力の一つだと思う。



私がほろ酔いになってきた頃、スモーカーがお酒片手に神妙な顔つきで話しかけてきた。


「それで、なまえ。お前おれたちに何を隠してる?」
「え…?」


ああ、バレてるんだ。アルコールでぼんやりしてきている頭でそう考えた。やはり隠し通すなんて無理なんだ。鋭すぎる。


「…別に、話したくないならそれでも構わねェが。あまり抱え込むなよ。」
「話したくないっていうか、申し訳なさが募るっていうか…」
「んだそりゃ。」


もう限界を感じていたし、潮時かな。そう思ってスモーカーに全てを話した。
海底の夢には彼が出てくること。彼が私の名を呼ぶこと。そしてその後、視線を下に落として哀しそうな顔をして、私に背を向けて去ること。
話し終えるまで、スモーカーは黙って聞いていてくれた。


「なまえ…なぜ黙っていた。」
「だって…せっかくスモーカーとヒナが彼を忘れる手助けをしてくれたのに、何か申し訳なくて…」
「おい、勘違いするなよ。」
「え?」


スモーカーの眉間に皺がよっている。いつもより深いそれを指でほぐしてやりたくなるのはきっと私が酔っているせいだ。


「勘違いって、何を?」


スモーカーは額に手を当て、溜息をついた。


「いいか。おれとヒナが手助けしたのはなまえがあいつを忘れることじゃねェ。あいつを喪ったお前の心の痛みをなるべく癒すことだ。」
「……」
「お前とあいつが過ごした時はおれたちのそれよりずっと長い。そんな時を忘れられるわけがあるか。お前とあいつの20数年はそんな簡単に忘れられるほど薄くて安っぽいもんじゃねェだろう。心の傷はただの怪我よりも遥かに人を蝕む。おれたちだってあいつを亡くしたのは辛かった。だがそれ以上に、精神を不安定にし、無理やりあいつを忘れようとしているお前を見ていられなかった。」
「…うん。」
「簡単に癒せる傷じゃねェ。まだ5年だ。夢に出てきたってしょうがないし、お前があいつを求めるのも当然だ。もっとおれたちを頼れ。お前一人支えきれないほど弱くない。」
「うん…」


そう諭したスモーカーは、既にアルコールがまわって意識が落ちかけている私の頭を撫でた。ゆっくりと、形を確かめるように、私がそこに存在しているのを確認するように、丁寧に。
眉間の皺はなくなっていて、代わりに強面の顔に普段は見せない、優しげな雰囲気の表情を浮かべている。色素の薄い瞳の中には、大事なものを、愛するものを慈しむような色をたたえている。
ひどく安心できるそれに、私の重たくなった瞼は重力に逆らうことなく閉じていった。
長十手を振り回すスモーカーの硬い無骨な手は、彼の手とは全く違う。
閉じた瞼に押されて涙が一粒、こぼれ落ちた。


座礁した心
不器用な優しさが、痛い
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