強い圧迫感と息苦しさで目が覚めた。

息も荒く、汗も酷かった。寝巻き代わりのTシャツが体に張り付いて気持ち悪い。
こんなに酷いのは久しぶりだ。
恐らく眠りについてからさして時間は経っていないだろう。カーテンの隙間から見える外はまだ暗い。それでも、もう一度眠ろうという気は起きなかった。
また、あの夢を見てしまうかもしれないという恐怖心に苛まれる。
30数年の人生の中で、最も辛かったあの日々。それを思い出させる夢が、怖い。

大事にしてきたものが手から零れ落ちるような感覚。

サイドテーブルの上の写真立てに目をやった。
今より7年分若い私と、全く変わらない“彼”。
二つの影は変わらない笑顔でその枠の中に収まっている。
過去は清算したつもりだった。彼のことは思い出に、愛おしい記憶にしたつもりだった。でも、きっとできていない。

その証拠に、私の左手の薬指にはシンプルな銀の指輪が、あの時と何ら変わりない鈍い輝きを保って君臨している。




彼と私は幼馴染で、私は弟を、彼は母親を、それぞれ海賊の手によって喪った。そうした境遇の私たちが海兵を目指すのは、ある意味必然だった。
同じ目標を持つ者同士切磋琢磨して技を磨き、一緒に入隊した。
同期の友人もでき、厳しい生活の中で常に充実感を感じていた。海賊を討伐する。絶対的正義の下でその仕事に関われるという事が誇りだった。

やがて、それなりに手柄を上げたりするようになり、徐々に昇進していった。同期の一人は実力はあるのに上層部の言うことを聞かないから、幾度ものクビの危機を乗り越えてのそれだったけれど。

従うべき上司が増え、従え守るべき部下ができた。背中の白に映える正義も背負うようになった。捕縛するべき対象の海賊も、昔よりはるかに実力のあるやつを当てられるようになった。彼も私も必死だったけれど、もしかしたらあの頃が幸せの絶頂期だったのかもしれない。

25歳の時。私や彼と、同期の中でも頭一つ抜き出ていた友人たちは少佐になっていた。
能力者というアドバンテージがある私たち3人と違い、実力のみでその地位まで駆け上ってきた彼が恐らく一番強く、上司からの期待も厚かった。
同じ年、多少落ち着ける地位につけた私と彼は、数年の交際期間を経て、遂に結婚した。結婚と言っても忙しい身だ。式は挙げずに入籍のみ行い、上司と数人の同僚や友人たちに知らせるに止まった。
しかし、私と彼の左手の薬指にそれぞれ輝くその証拠は、周囲の人たちに私たちがそういった関係であるということを暗に示していた。



束の間の幸せだった。
それはいとも簡単に私の手から零れ落ちてしまった。



結婚から僅か2年。27歳の時、彼は殉職した。


複数の艦隊からなる大きな海賊団の捕縛の時だったらしい。らしい、というのは、私はその時別の任務に出ていてその場にはおらず、後から聞いた話だからだ。相手はなかなの手練れで、海軍もそれなりの戦力で迎え撃ったが、幾つかの軍艦が沈められたのだ。その沈められた軍艦の一つに彼は乗っていた。彼や彼の上司、部下、全てが海の底へと沈んでいった。
幸運な事に、捕縛対象だった海賊団はインペルダウンに放り込む事ができた。
しかし、彼はその遺体すら、帰ってくることはなかった。


殉死の報せを聞いた時のことはよく憶えていない。人間の脳とは便利なものだ。心が傷付かないように、あまりに辛い記憶は早々に風化される。ただ、感情は素直だ。憶えは無いのに、悲しい、辛い、痛い、そんな感情の記憶だけはやけにはっきりしていいて、消えることが無い。

私は自分の身を忙しくする事で喪失感を忘れようとした。
二人で住んでいたアパートは引き払い、別の、一人暮らし用のアパートに移り住んだ。彼の荷物は一部を除いて処分してしまった。一刻も早く、私の心を抉る感情の記憶を隅に追いやりたかった。
休日返上で、隙あらば仕事をし、ひたすら哀しみをやり過ごす事に心血を注いだ。


そんな私を止めてくれたのが、同期の中でも特に仲が良かったスモーカーとヒナだった。新兵時代からいつも4人で連んでいた。
荒れる私に規定通りの休みを取らせ、生活をもと通りにするのを手伝ってくれたヒナ。
言葉は少なかったけれど、そばにいて欲しい時にいてくれたスモーカー。
二人には感謝しきれない。
全く今まで通りという訳にはいかなかったけれど、随分とましになった。

じくじくと痛みを残していた感情は、その傷口を閉じ瘡蓋になった。ただ我武者羅に、無理やり忘れようとするのはやめた。

そうやって時間をかけて、彼を喪った過去を消化していったはずだった。それが一番の弔いだと思った。

それなのに、私は今でも夢に見るのだ。
なまえ、と優しく微笑んだ彼が私の名前を呼び、視線を下に落とすとその顔を哀しそうな表情にして私に背を向けて歩き去る姿を。引き留めようと手を伸ばしても届かない。声を上げても、口から気泡が漏れるだけで声にならない。
そして、そこが彼が沈んだ海底なのだと気がつく。そう意識すると、そこは地上の明かりなど僅かにしか射し込まない暗い暗い、海の底に見えてくる。能力者である私は海にはいられない。身体中の力が抜けて、息苦しくて堪らなくなって、、


そこで目が醒めるのだ。


この夢は私が彼の事に関して、気持ちの整理がついて暫く経った頃から現れ始めた。全く同じ夢を何度も何度も見る。嫌だとは言い切れないが、傷口を抉られるのもまた事実。
どうしたら良いのかわからない。


そうして思考のループに入るのだ。私は彼のことを過去の出来事として清算できていないのではないか、と。


足を抱えてベッドに座った私は、組んだ手の先で無意識のうちに指輪を撫でていた。


海に沈んだ思考
まだ浮き上がってきていない
- 2 -
prev | back | next
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -