ソファーに背をもたせかけ、静かに読書をしているなまえをキッチンから眺める。一緒に暮らし始めてどのくらい経っただろうか。

少しでも私との結婚を考えてくれているなら、お互いのライフスタイルや生活環境の一致も含めて合わせる必要があるから一緒に住もう。
真顔でそう提案してきたのが懐かしい。
気づけばお互い高校も大学も卒業し、あっという間に社会の荒波に揉まれていた。

いつの間にか、たいして広くもないこのアパートの一室が、どこよりも心休まる場所になっていた。
帰ると暖かい食事と愛しい彼女が待ってる日。おかえりとお疲れ様の言葉が疲れた体を癒してくれた。自分の方が先に帰った日。逆に食事を用意して待つ。普段言ってもらう側だがその日は言う側になる。自分のおかえりとお疲れ様が彼女の癒しとなることを願った。
お互い、良い意味で空気のような、酸素のような関係になれることを考えていた。そこにあることが自然で当たり前で、でも無いと困るから大切にする。慈しむ。労わる。そんな関係。何年も前からそう思っていた。過去の自分から見て、今の自分たちはそうなれているだろうか。


使い慣れたコーヒーマシンを操り、自分用のコーヒーとなまえ用の甘いカフェラテを作る。そうして床に直接座るなまえに少し眉をひそめながら、目の前の机にそれらを置き、自分はソファーに座って後ろから彼女の肩に手を回して、そのまま抱き込んだ。なまえは脚の間にいるから逃げる術もない。


「…翔一さん、鬱陶しいです。」
「なんや、つれへんなあ。飲み物も用意したっちゅうのに。」
「それは感謝してます。ありがとう。でも、見てわかるでしょう?読書中なんです。ねえ、この本すごく面白い。翔一さんのお薦めだったやつなんですけど。」
「せやろ。なまえが好きそうなやって思って薦めたんや。」
「……私の好みは把握済みってことですか。」


当たり前や。そう言っていっそう強く抱き締めた。なまえはとうとう諦めたらしく、軽いため息を吐きつつも、本に栞を挟んでワシに体を預けてくる。安心しきったような、柔らかい表情がたまらなく可愛い。

「あー、なまえちゃんほんまに可愛いなあ。」
「ありがとうございます。」
「……そういうところは可愛くないわ。もっと照れるとかあるやろ。」
「私にそういうの求めないでくださいよ。それに、そういう女の子は好きじゃないって言ったの翔一さんでしょう。」
「せやったかな?」


とぼけてみせるが、もちろん覚えている。まだ高校生の頃、付き合いたてで周りも一番煩かった時。自慢ではないが、それなりにモテた。そのせいかなまえは変に気を使っていたのだ。一番驚いたのは、もっと照れたりとかそう言う可愛気があった方がいいですか?と聞いてきた時。その時はたしか、言い方は悪いが女の子らしい女子は好きではないという事と、

「そのままの私が好きだから、そのままでいてくれって言ったじゃないですか。私すごく嬉しかったんですよ、あれ。」


そう。確かにそう言った。


「覚えててくれたんやな。」


じゃっかんむくれたように拗ねるなまえ。いい子いい子と言うように頭を撫でるとちょっと嫌な顔をされたが気にしない。
きっとされるがままでいてくれる。


「当たり前です。記憶力には自信がありますし、何より翔一さんとの事は何一つ余すことなく覚えていたいんです。」
「!!」


思わずなまえの頭を撫で回す手を止めてしまった。何の打算も無くこんなことを言って、この子はいったいどれだけ自分を虜にすれば気がすむのだろうか。


腕の中から、どうしたの?と言うように見上げてくるなまえは普段のクールな様子からは想像もできないほど可愛らしい。小動物的だ。

もしかしたら、自分がずっと待っていたタイミングはこれなのかもしれない。雰囲気だシチュエーションだなんて考えるまでもない。そんな飾りは、余計なものは何一つ要らない。


「なあなまえ。ワシがお前の全てが欲しい言うたら、お前はどうする?」
「…え?」
「あまり深く考えんでええで。思ったまま、答えてくれへん?」


なまえはぐっと唇を引き締め、俯いてしまった。普段はあまりしないような反応に少し困惑する。何か、間違えてしまったのだろうか。抱き締めている体から伝わってくる震え。これは、なんだろうか。


「……あの、プロポーズでも、してるつもりですか。」


やっと出された声は絞り出されたように掠れた、いつもとは違う声。


「せやなぁ。ワシはそのつもりで言うたけど。」


表情を変えずにそう言うと、勢いよく腕を振り払ってこちらを向いてきた。首筋に顔を埋めているので表情はわからないが、髪の毛の隙間から見える小さな耳は、驚くほど真っ赤だ。


「なぁ、どうなん?」
「そんなの、そんなの……!」


吐息交じりの声がこそばゆい。


「全部あげるに決まってるじゃないですか!だから……」



私にも、翔一さんの全部をください。



そう言ったなまえの頬を包み込んで顔を上げさせた。林檎のように紅潮した顔を満足気に見下ろして、少し笑うと、また拗ねたような顔をする。ああ、今日の彼女はいつもと違う表情を、顔を、感情を見せてくれる。お互いがお互いの全てを欲しているこの現状は、お互いを必要不可欠な存在として認めているから起こったのだろう。過去の願いは叶えることができた。
そう考えると強い幸福感に襲われた。きっとなまえといる限り、この幸福感は続く。


笑みを深くして、可愛らしいことを言った唇にそっと噛み付いた。


君の全てが欲しい
君がいなくなれば僕は苦しくてたまらなくなる

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