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月神香耶side
明治二年(1869)四月
蝦夷共和国成立から約三ヵ月半。平穏な日々も束の間の、北の台地の雪が溶けかけた四月、早くも新政府軍が来襲してきた。
函館戦争がはじまったのである。
(抜粋:新選組と土方歳三 双葉社)
どさり。
千景君が私たちの家にまで来て、投げ捨てた荷物。それは。
「……烝君!?」
「ふん。俺の周りをうろついていたのでな。目障りになって仕留めてきた」
「死んでるの!?」
「……生きてます……」
床に投げ捨てられて目が覚めたのか、烝君は腹を押さえながら起き上がった。
史実では鳥羽伏見の戦いで命を落とした烝君は、私の介入で生き残り、こうして蝦夷にまでやってきてしまったようだ。
そんな彼は、私の姿を見て目を見開き、そして顔をしかめた。
「まさか、風間の子を……」
「違う!」
少しずつ膨らみはじめた私のおなか。冷え防止に腹帯で覆っているので妊婦だと一目でわかると思う。
「それが俺の子ならすぐにでも鬼の里へさらったものを」
「千景君、怖いこと言わないでよ。これは沖田総司の子供です」
「そうそう。縁起でもないこと言わないでよね」
と、話に割り込みながら、ひょいと総司君も戸口から顔を出した。
私たちの話し声を聞きつけて、敬助君も奥から姿を見せる。
烝君は驚きに目を見開いた。
「沖田さん……山南総長。生きておられたんですね」
「おや。とうとう旧幕府軍に見つかってしまったのですか?」
「烝君、千景君を尾行してたんだって。独断でしょ」
「………」
「たしかに、僕たちがもし旧幕府軍に見つかったのなら、まっ先に土方さんが殴りこんできそうだよね」
烝君は、不覚を取ったと悔しそうな顔をする。ぴりぴりする彼とは対照的に、私たちは終始和やかなムード。
「聞きたいことは山ほどありますが……あなた方はこんなところで何をしているんですか」
「何、ってさ……香耶さん」
「うーん、なんだろう。野次馬?」
「野次馬って……一概に違うとも言えませんが」
「総長、貴方まで!」
冗談はさておいて、烝君にはこれまでの経緯や私たちの目的などを説明する。
近藤さんをはじめ、私や一君や、これまで消息不明になってる連中が皆ぴんぴんして隠れ里にいること。
鬼も新政府軍に内密で私に協力していること。
歳三君の死亡を偽装して、その生命を救うために、私たちがここにいること。
説明の間、烝君は終始小難しい表情をしてた。
「御託はいい。貴様が香耶の邪魔をするのか、否か。ここではっきりしてもらおう」
そう言って千景君は烝君に圧力をかける。ここで烝君が私に反対すれば、すぐにでも首が飛びそう。
「……千景君」
「俺が仕えるのは蝦夷にまで俺たちを導いてきた、新選組の局長です。月神君、貴女じゃない」
「知ってるよ。新選組であることの誇りに命をかけてきた隊士たちを、私は間近で見てきた」
だから君が、どんな思いで、覚悟で、ここまでやってきたか。
その全てを理解してるなんて言わないけれど、ほんの少しくらいは知っている。
「新政府軍は目前に迫ってる。彼らは大群で、最新の兵器を持ってる。新選組のたどる道はひとつしかない」
「そんなこと……!」
言われなくたって。最前線に立ってる烝君だから。
「烝君、君が誇りに思ってる新選組って、なんだったのかな?
幕府にその身を捧げて、厳しい規律を守って、思想を違える者を斬る。それが誠の武士?」
「俺は……」
「私は、新選組の中枢で暮らしてた私には、違って見えた。
京の治安を、庶民を守って、将軍を守って。そこに見出すものがあった。褒美があった。だから厳しい中にもやりがいがあって。人が集まってきたのでしょう?」
今や武士の目標なんていわれる新選組だけど、中身はただの人間だから。どうがんばったって神や仏にはなれないから。
守りたいものがある。欲しいものがある。誰かの安全や、笑顔。
全身全霊で信じるものがあって。
険しい顔で考え込む烝君に、総司君たちも口を開く。
「なにを難しく考える必要があるの? 死なせたくない人がいる。戦う理由なんかそれで充分じゃない」
「そういえば土方君も、もともと近藤さんをのし上げたいという思いがあって上洛したんですよ」
「烝君は、なぜ戦うの?」
「……俺は、失いたくない。新選組と言う存在を」
生まれた時代が悪かった。嘆くことは簡単で。
「歳三君は私が助ける。だから、みんなで作ろうよ。新しい新選組を」
時代は、過ごすものじゃなく、創るものなんだよ。
この命、この身ひとつありさえすれば。
「…………わかりました」
だから、ね。観念してね。
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