114
月神香耶side
「っ!! 香耶さん!」
千鶴ちゃんが叫ぶ。
ああ。こいつは羅刹だ。
私がゼロに目配せすると、ゼロは意図を察して、千鶴ちゃんを部屋の反対側のふすまに下がらせた。
もし、ここにいるのがゼロじゃなくて総司君だったら、私も彼の背に庇われて、逃げろ、なんて言われるんだろうな。
それはそれで嬉しいけれど、歯がゆさも覚えるんだ。
私は“狂桜”の鞘を抜き放った。
「君も運が悪いね。わざわざ私がいるときにやって来るんだから」
隊士は刀を振るいながら私との間合いを詰める。
その刃を一合、二合と受け流しながら、足元にあった枕を蹴っ飛ばした。
隊士がそれに、ちらと視線をやると同時に、私はそいつの懐に入り込む。
すかさず咽仏を殴打して、身をかがめた男の首をはね飛ばした。
しかし。
『香耶さん!』
その男の背後から、閃光が弧を描いてひるがえった。
どん、とおなかに衝撃が走る。
「っぐ…ぅ」
鮮血がほとばしって、黄金に変じて畳の上に散り掛かる。
二人目の羅刹か。
私は、揺れる意識をなんとか保ち、“狂桜”の柄を握りなおした。
「おおお、血だぁ……その血を俺に寄越せえぇ」
「…やなこった」
羅刹は黄金には目もくれず、血を流す私に向かって刃を薙ぎ振るった。
血液は腿を伝って足まで流れ、畳から足を離したところで黄金に変わる。
私は思わず裂かれた腹を押さえた。
くそっ。治癒が遅い。急所を掠ったのかもしれない。
痛い。やばいくらい痛い。
……いや、でもこの前、踏み石に足の小指をぶつけたときのほうが痛かったような気がする。
あれ? これって逆にやばいのかな。感覚が麻痺してる?
「誰か──助けてくださいっ!」
千鶴ちゃんの声。
『何やってるんです!』
ゼロが、私と二人目の羅刹の間に割り込む。
頭に霞がかかっているようだ。
でも、私は気力だけで立ち続けた。
「ゼロっ、そいつを押さえろ!!」
『……は、はい!』
私が、羅刹の心臓を刺し貫いたとき。
「香耶さんっ!!」
外からも総司君の、私を呼ぶ悲鳴のような声が聞こえて。
よかった。もう大丈夫だ。
守り通すことが、できたんだよね…
「おい、生きてるか!?」
「無事だよ…」
「どこが!」
総司君が、安心して力の抜けた私の身体を、抱きとめてくれた。
なぜか自分が死にかけていることは、遠くの出来事のように感じる。
無事だ。私が守りたかったものは。
ならば、幸せなうちに、こんなふうにあっけなく終わるのも、いい。
悔いは……無い。
指先が凍える。
なのに心は……
──香耶さん、諦めないでくださいよ。
酷い耳鳴りの中、靄のかかった意識を、切り裂く声があった。
──香耶、戻ってこい。
悲痛な声。
──香耶さんとお別れなんて、いやです。
泣き叫ぶ声。
──香耶さん、愛してる。
愛おしい声。
香耶さん、香耶さん、香耶さん、香耶さん…
……ああ、私も。
あははっ、なんだ。虫のいい話。
やっぱり、まだ死にたくないや。
← | pagelist | →