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月神香耶side
そろそろ、暮れ六つ半になる。
角屋の座敷には、団体客が多数つめかけていた。
「もしかしたら、この中に父様がいるかもしれませんね」
「よし、行ってみようか、千鶴ちゃん。音、立てないようにね」
「はい!」
廊下に出ると、大広間で宴会を開いている客の話し声が聞こえてくる。
西国訛りの話声。
私たちは気配を殺してふすまの前に立つ。千鶴ちゃんがふすまを細く開けた。
「しかしこの角屋には、新選組の幹部共も頻繁に訪れると聞きますが。祇園のほうに出かけたほうがよかったのでは?」
「知ったことか。時流を読めぬ幕府の犬など、恐るるに足らん。奴らにはいずれ、目に物を見せてくれるわ」
中では浪士たちが酒を飲みながら不穏な話をしていた。
それをこっそりうかがいながら、人相を確認する。
「うーん、綱道君はいないみたいだね」
「落ち着いてる場合じゃないですよっ。この人たち、なにかよくないことを企んでるのかも…」
「ちょっと何するつもり? みてよ。こわもての男ばかりじゃない。この部屋に入るのは私でさえ気が引ける」
「そ、そうですね。とりあえず、斎藤さんと山崎さんに報告してきましょう」
「ふむ……千鶴ちゃん、行ってきてくれる?」
「え……?」
私は少しだけ苦笑いして、控えの部屋に視線をやる。
「私は手紙を書かなきゃ」
「ああ、そっか。沖田さんにですね」
「うん」
ここに来る前にいた料亭で、総司君は、別れ際にこんなことを言ってた。
『香耶さん、なにかあったら文を寄越してね。僕宛に』
『大丈夫だと思うけど…まあわかったよ』
『何も無くても寄越してね』
『わかったわかった』
『ちゃんと帰ってきてね』
『わかっ……どういう意味?』
あの子の不安げな顔が頭から離れない。
嫌な予感でもしたのかな。
千鶴ちゃんと別行動で、私はひとり、千に用意してもらった個室で文をしたためた。
禿(かむろ)の子に頼んで飛脚に渡してもらい、墨の始末をする。
そういえば総司君、私の手紙、読めるかな。正直、私の字は上手いとは言い難いから。
でも手紙が来たってことは何かあったってわかるよね。
隣の部屋から宴会の声が聞こえてくる。
窓際に肘をついて、ぼんやり外を眺めていると、背後でふすまが開き、誰かが座敷へと入ってきた。
「お部屋、お間違えではおまへんか?」
作り笑いで後ろを振り向き、その人物を見上げると。
その笑みが凍りついた。
「ほう。噂の銀髪の芸者か」
げっ!!
「ちかげ…くん……!?」
なんでここに来るかな!!
私はかくりと脱力した。
「君、こんなところで何やってるの?」
「隣室の馬鹿騒ぎに呆れ、抜け出してきたまでのこと」
さっき見た部屋とは別の部屋にいたんだ。
「新選組から芸者に鞍替えか?」
「違います。私はここの助っ人なの」
密偵とは言うまい。いや、彼のことだから察してると思うけど。
ちらと彼を仰ぎ見ると、緋色の瞳はこちらをじっと見つめていて。
そしてにやりと笑われて、私の心臓がどきりと跳ねた。
なんなんだよ。いま一瞬、食われるみたいな感覚がよぎったぞ。
「何をしている? 酒をもってこい」
まじでか。
いや、考えようによっては、私、お手柄なんじゃないかな。
私がここで千景君を足止めしておけば、千鶴ちゃんたちの危険は少なくなる。
よし。ならば、ここで彼を手玉に取って……
「よろしゅおす。ほんならお酒をお持ちしますえ」
「……似合わんな」
「やかましいわ!」
「くっくっ…」
うぐぅ……手玉に取られておいてやる!
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