遺伝子は否定する



姉弟、少し年が離れている設定。


ポチャン。軽い水音を立て僅かに雫が跳ね、それは水底へと沈んでいった。此処の水の流れは緩やかだ。だけど、それはもう見つかることがないだろうと思った。コロコロと緩やかに水の流れにそってそれは転がってゆく。濁りのない、澄んだその水は清らかでキラキラ光に反射して俺には眩しかった。心が清々しいほどに穏やかだった。質素だけど高いと思われるそれが流されてゆく。それを見送りながら俺は踵を返した。あんなものなんか、なくなればいいと。この思いとともに、全て川が流してくれれば良いのに、と。さらさらと優しい水の流れ、河川敷で子供たちが遊んでいる姿を尻目に俺は家路を急ぐ。



家に着くと姉さんが騒いでいた。泣きそうになりながら俺に慌しく尋ねる。俺は、何で姉さんが泣きそうなのかを知っていた。寧ろ原因は俺にあるのだから。笑いそうな口元の筋肉を無理やり引き締めて、俺は姉さんに落ち着くように言った。「落ち着いて、姉さん。何があったんだ?」声はいつも以上に落ち着いていた。内心は楽しくて仕方がない。ポーカーフェイスを見破れない。姉さんは耐え切れなかったのか、めそめそと涙を流しながら、荒い呼吸を吐いた。「あ……指輪が、ないのっ……。大事な婚約指輪なのに、どうして……。一郎太、知らない?」姉さんは料理が趣味だった。だけど、指輪をしたままでは料理は出来ないからといつも指輪を机の上においていたのを知っている。料理に、指輪が入ったら危ないから、と。姉さんは相変わらず、落ち着かない。よっぽど大事なものだったのだろう。きっと、今もっているどんな高いものよりも大切だったんだ。直感的に、思った。
「いつものように、机に……置いたのに……ひっく」



ティッシュを数枚、ポケットから取り出して姉さんに渡す。姉さんは泣きながら俺にお礼を言って鼻をかんだ。こんなに感情を荒げた姉さんを見たのは久しぶりだった。そう、幼い頃を思い出す。姉さんは昔とても、泣き虫だった。よく、近所の男子に虐められて泣いていたのを思い出す。だからだろうか、俺はそんな姉さんを泣き止ませたくて幼い頃からどちらかというと落ち着いていたという。でも、姉さんは年を重ねるごとに泣かなくなっていった。姉さんが遠のいた気がした。姉さんは俺を頼ってくれていたから。泣かなくなった理由を知っている。ひとつは姉さんが俺より年上で、大人になったからだ。大人は子供より泣かない。もうひとつは、俺じゃない別の血の繋がらない男を好きになってそいつを頼るようになったからだ。至極当然のことなのに、姉さんを取られた気がした。



「窓は開いていなかったか?鳥とか入ってきたとか……」俺は一緒に考えてやるふりをしながら、そういった。心配そうな表情を顔に貼り付けていかにも姉さんを心配している心優しい弟です。って声色で言う。馬鹿みたいだ、本当に白々しい。どうして、こうも残酷な嘘をつけるものなのか。多分、小学生の頃にやった劇なんかよりもずっとずっと真剣に演じていた。「空気入れ替え、していた……かも?でも、網戸ちゃんとしていたよ……」……誰かに罪をなすりつけようとした俺は、何処か居心地が悪かった。平気で、真顔で嘘をついているからか泣いてしゃくりあげている姉さんに罪悪感を募らせる。



……やったのは、俺なのだから。でも、自白するつもりもなかった。「ああ、どうしよう。なんていえばいいんだろう……。無くしたなんて……。あんなに大事なものを」そういって、乾きかけていた涙の跡にまた涙を滑らせた。俺が泣かせているんだ。昔、いじめっ子が姉さんを泣かせたように。俺が泣かせているんだ。守るべきはずだった俺が、姉さんを。なんて……皮肉なんだろう。あの時姉さんを泣かせていたいじめっ子よりも、たちの悪いことをしたんだ。



姉さん、姉さん。俺は姉さんを他の男にやりたくなかったんだ。結婚なんて認められなかったんだ。結婚なんてしてしまえば姉さんは俺から離れて他の男のものになって家を離れて、子供を生んでその愛した男のことを思いながら死んでいくんだ。そして、そいつと同じ墓に入って、俺と永遠に離れ離れだ。でも、あいつとは永遠に一緒。それが耐えられなかったんだ。姉さん、姉さん。行かないで行かないで。指輪を探せというなら俺は河川敷にもう一度行くよ。見つけるまで帰らなくてもいい。口も利かなくてもいい。だから、行かないでよ姉さん。でも、見つけても見つけなくてもいなくなっちゃうんだろう……?ああ……俺が弟なんかじゃなければ。


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