アイロニー



一、「もうすぐ退院ね」そういう冬花さんの言葉は嬉しそうに弾んでいたけれど私は対照的に沈んでいた。まったく嬉しくなんかなかった。私にとっての白衣の天使、冬花さんの傍に居られなくなってしまうのだからそれがとても嫌で嫌でたまらなくて無理矢理に作り出した笑顔は、筋肉が引き攣って歪な物だったと思うけれど冬花さんはそれに気が付かずに、私の車椅子をゆっくりと押してくれた。売店で買った、イチゴ牛乳の味がしなかった。どうしたら、もっと冬花さんの近くに居られるんだろうと思考の海に溺れてぐるぐる耽っていた。面白くないテレビ、真っ白くて気が狂いそうな白い個室、そこに私を含めて三人の人がおしこめられている。



二、この間、一人死んでしまったから。今は三人。そう、ほんの一週間前まではこの部屋には四人いたのだ。死の匂いが空気中に散布されている、それでも聞こえない見えないふりをして日々を過ごしている。外の風景はあいかわらず同じような空と木々。何も変わる物などない、それでも気が狂わずに生きていけるのは冬花さんがいるからだ。だけども、もうじきこの両足は治ってしまうらしかった。治ってしまえば、ハサミで細く白い糸を断ち切るように簡単に私たちの関係は終わってしまう。それきり、プツン。私たちの関係は患者と看護婦から一変他人に戻る。何もかもが元通りなのに私はそれが嫌だった。



三、刻々と時間は迫っていく。時の流れとは恐ろしいものだ。ニュースを見て外の世界を把握していてもそれは他人事のように過ぎ去る出来事でいつしか他の出来事によって頭の片隅から蹴られて、追い出されてしまう。冬花さんは昔、とあるサッカーチームのマネージャーだったらしい。きっと子供の頃からあの美貌を保ち続けていたんだろうなぁ、きっと周りの男の人は放っておかないんだろうなぁ。と思って、彼氏の存在をそれとなく聞いてみたところ、今は居ないとの事だった。これは朗報だ。少しずつ普通に歩けるようになる足を呪いながら、今日はこの事を胸にしっかりと抱いて眠った。冬花さん、冬花さん。名前を呼ぶだけで甘い痛みが脳を刺激して、胸にしみわたっていく。きっと、これが。



四、リハビリを手伝ってくれる冬花さんに触れ合う時が好きだ。相手にその気がなくとも、必然的に密着する細い女性の体。今は手すりにつかまって、必死に歩行の練習をしている。私は別に歩けなくなっても構わないかな、なんて最近思うようになっていた。そんなことを言ったら剣城君に呆れられてしまうだろうか。彼も足に怪我をしている。そして、私よりも重症である。私はトントンと治っていくのに彼の治りはとても遅く感じる。私と交換してあげたいくらい。そうしたら、冬花さんと長く長く居られるのになぁ。うーん、私の頭が良ければ一緒の職場ってことも有りえたのかもしれないのに。なんで、なんだろう。そもそも、なんで私は女なんだろう。



五、ついに、退院が明日に成ってしまった。冬花さんはおめでとうってその綺麗なガラス球に私を映してお祝いしてくれたけれどもちっとも嬉しくなんかなかった。これでお別れね、もう逢わないわねって暗に言われているみたいで寧ろ不愉快にすらなった。これで、お別れだなんて冗談じゃない。病院にまだ居たいよ。でも、どうしたらいいんだろう。どうしたら。ふ、と備え付けられている引き出しの上に目を向ければ大きな果物の入った籠と果物ナイフが乗っかっていた。病院に居るには怪我、若しくは大きな病気を患っていなければならない。ならば、どうすればいいか。答えは簡単じゃないか、すぐ目の前に答えが落ちている。



六、その夜に荒い息をハァハァとまるで、外を全力で走り回った犬のように荒く呼吸をしながら果物ナイフを握りしめた。これしか方法が無いのだ、私の体は難病に侵されているわけでもなければ、何処かが可笑しいわけでもない。いや、頭は可笑しいのかもしれない。この光景だけを見れば、ただの頭の可笑しい女そのものだ。だから、強ち全てが間違いではない。恋に狂った、女だ。ああ、冬花さん、冬花さん……貴女とまだ一緒に居たいの。ナースコールを押せばすぐに駆け付けてくれて、決して穢れることなく独占することもできない天使の笑顔を私(とそれ以外の人たちに)に向けてくれる貴女を愛しているの。だから、必死にリハビリを手伝ってくれたのにとても申し訳ないと思うけれども。これは愛の為。仕方のない事なの。

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