バードケージ



そこはかとなく、悪意が漂う。やっぱり神童の兄弟愛というには行き過ぎた愛情だった。

前々

「名前さんお帰りなさい」俺はボロボロになって帰ってきた名前さんを満面の笑みで向かい入れたかった。それでも、外面は取り繕って可哀想にとか同情を寄せた風な顔だったと思う。声はやや弾んで上ずっていたけれども名前さんは気がつかなかったのかやややつれた様子で「ただいま、拓人」と無理矢理作った笑顔で俺を受け入れてくれた。やっぱり名前さんは見る目が無いと確信した。これまで何度も思った事柄だったけれど、やっぱりそうらしい。醜悪な感情は多分、名前さんを誑かした男と何ら変わりやしないのだと認識させられるから嫌でたまらなかった。“嬉しかった”甘いにおいがする。



「私の部屋はもうないのね、」やはり、この家には私の居場所なんかないわ……それでも、拓人。それきり噤んで沈黙を生み出した名前さんの唇は艶やかで、そう奪ってしまいたいほどだった、それは背徳感。「名前さん。これ」俺が一つ保護していた香水の瓶を手渡した。ずっとずっと大事にとっておいたんですよ。名前さんの不在の代わりをずーっとしてくれていたんです。これがあれば名前さんが居てくれた気がして俺の心は少し、回復するような気すらしたのです。「これから、暫く俺の部屋に居てください。部屋は俺がきっと必ず何とかしてみますから」「出来るかしら?両親は私が嫌いなのよ。この家には拓人しか味方がいないわ」俺しか、俺しか。何度も何度も口ずさみたくなるような甘美な響きを持っていて、俺の鼓膜を震わせて脳まで到達した。何度でも聞きたくなる、名前さんのその唇から。



「大丈夫ですよ、俺が頼めば聞いてくれますから」「……ふふ、そうかしら。私が帰ってきたとき、厄介者が帰ってきたって顔をしていたわ。勘当されていたものね」「かん、どう?」完璧に、初耳だった。俺がその事実を知って受け止めていたのならば名前さんが去る前のリアクションだって大きく違っていただろう。手を強く握りしめると名前さんが俺の手を優しく解いて「駄目よ、拓人の手は綺麗なのよ」と諭した。手も足も体も、何もかもを大事にして育てられてきた俺とは対照的だと思った。「名前さん、あの曲を弾きましょうか」「…………お願いしてもいいかしら」「勿論」



ピアノの上に積まされていた、譜面から目当ての譜面を引き抜いた。埃一つ被っていないのは、お手伝いさんがいつも掃除してくれているからだった。ピアノに指先を乗せた。そして、演奏をする体制に入る。「名前、ずっと此処に居てください。そしたらもう傷つかなくてもすむし、俺はずっと名前さんの味方でいてあげますから」きっと俺以外の家族は良い顔をしないだろうけれど、俺はずっとずっと名前さんの味方で居て、この曲を毎日弾いてあげますからね。そうだ、三時には紅茶を入れて昔みたいに楽しく過ごそう。此処が安楽ならば、名前さんももう二度と出て行かないだろう。



指先を動かし始める。音が鳴り響く中名前さんの声がした。「ねえ、拓人」ピアノの音で声が聞こえない。ただ、俺の考えを透かして見ているような悲しげな眼だけが俺に突き刺さった。大きなガラス窓からはキラキラと綺麗な光が差し込む。黒と白の鍵盤に反射してそれは目を焼いた。「そうだ、部屋が元に戻らなければ俺の部屋にずっといていいですよ」名前さんが涙を零した。映画のワンシーンを思わせるような儚さと、美しさ。それから繊細さを持ち合わせていた。泣き止んで欲しいなと思ったのに結局、俺には名前さんの涙の理由は分からないままだった。きっと、これからもわからない。

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