天使のレプリカ



!刃物で傷をつける話。流血、ヤンデレ



名前という女は清らかで美しい聖女のような女だった。人ならざる私から見てもそう思える人間だった。ただ、多少精神が不安定な所があるように見受けられた。恐らくそれは私の気のせいではないであろう。幾度にわたって刻まれたであろう、腕の傷は赤と白の奇妙な模様を作り出していた。古い物から、新しいものまである。たまにやけどの跡もあり、とても痛々しかった。そのようなことをするのはやめろ、と私のくだらない薄っぺらい正義を振りかざして言えば仄暗い影のある笑顔で「セインは優しいね」って私の頬に手を、指先を滑らせた。冷たい感触が頬を伝う。でも名前は「もう二度としない」だなんて言ってくれたことは一度もなかった。



名前はよく私の背についている小さな羽を羨んだ。大樹の幹に腰掛けて白い羽に手をかけて、「いいなぁ……」なんてよく独り言のように呟いていた。さわさわ、私の小さな羽を撫でつけて「これ、羽毛布団に出来ないのかしら」なんてその時に限ってぎらついた欲望に塗れた不吉なことを言うものだから「やめろ」と私は不機嫌そうに一喝するのだ。「抜けたやつでいいから、羽毛布団にしたいなぁ」チラチラ、抜けたやつならばいいでしょう?なんて私の顔を伺う。地面に落ちた一本の羽を手に取ってクルクルと眺める。「仕方のないやつだ……」いい気分はしないが、本当に仕方のない人間だ。ただ、本当にこの背についているものを羨んでいるであろうということを私は理解していた。……つもりだった。



あくる日、また飽きもせずに此処へやってきた……かと思いきや、様子が可笑しい。暗い顔をしたままケタケタ笑っている。私に近づくと血の匂いが鼻を掠めた。思わず「うっ……」と言って口元を覆うほどに血の匂いがそこらに充満していたのだ。発生源は勿論名前だ。血が生乾きしたカッターの刃をチキチキ、チキと乾いた音を立てながらしまうとそれを私に突き付けた。刃は私に向けられていないし、名前からは敵意も悪意も感じられない。だが、それが余計に不気味で私は「我を殺す気、か」と引き攣った口から声を絞り出すことしかできなかった。「いいえ、セイン。今日は頼みごとがあって来たの」ドクン、心臓が逸る。心拍数が上がる、血の気が引く。ろくでもない願いに決まっている。決めつけているようだけれど、こんな状態の名前からまともな願いが出るはずがない。



「その刃物でお前を殺せなどと抜かすのであれば、我は協力などしないからな」人を意味もなく殺めたりなどできるはずもない。名前は私の煩悶を知ってか知らずか、首を横に振って自分の上着に手をかけてスルリと太陽と私の目の前にその白い肌をさらけ出した。それは絵になるような美しさを持っており思わず見入ってしまったが、それはいけないことだ、と思い直して慌てて止めた。その際に見てはいけないとなるべく意識を別の所へ向けながら。「は、破廉恥な……っ、わ、我は「セイン、私の背中にカッターで羽を書いてほしいの」「……は?」虚をつかれた。まさか、そんなことを言われると思ってもなくて唖然とした表情のまま固まってしまった。



そんな様子を面白そうにクスクス笑いながら立ち竦む私にカッターを握らせる。ベタリ、生乾きの血が手のひらに付着した。名前は私に背を向ける。「私ねぇ、セインたちの羽が羨ましいって言っていたでしょう」確かに言っていた、つい先日も言っていた。それは記憶に真新しいもので、ギュエール達だって「あらあら、こんなものなくても貴女は魅力的ですよ」なんて、優しい笑顔を浮かべていた。あの楽しげな談笑から何故こうなるのか。よく、ギュエールに「セイン、貴方は少し固いのよ。だから、たまには言葉にしないと名前に伝わらないわ。女心を理解していないわ」って言われていたから。そうだ、今だ。今しかないではないか。言葉にしなければならないときと言うのは。



ギュエールの言葉を借りるように私は言った。「お前にはそんなものなくても、」語尾が掠れて消えていった。震えた声音は名前に伝わらなかったのか顔だけをこちらに向けて「お願いね」と呟いた。人を傷つけるために刃物を持ったことは一度もない。今までの過去を掘り起こしても一度も無かったはずだ。カッターは軽いはずなのに、この時ばかりはとても重たく感じられた。「傷が消えなければどうするのだ?お前の背に、羽を描いて何になる」もっともな意見を言えば名前が顔を顰めて見せた。腕の傷を見てわかる。傷は簡単に消えたりなんかしないということを。人間の治癒能力には限界がある。痛々しい傷口は塞がっても跡までは消えないだろう。「セイン、お願いよ。私も貴方と同じになりたい」



チキチキ、カッターの刃を出す。結局名前の頼みを聞く羽目になった私は、やっぱり人間に毒されているのだろうか。天界の者が考える思考ではないことはまず、間違いないだろう。上半身をさらけ出した名前が柔らかな草の上に腹這いになる。カッターの刃をまだ、傷のついていない柔肌にそっと当てた。「消えないように、強めにお願いね」刃を肌に押し付けた。「いっ、」と痛みに呻く声が聞こえた。やめたくて仕方がないのに手を止めれば「続けて」と名前が懇願する。背中に痛々しい真っ赤な片翼が完成したのを伝えると痛みでじんわりと汗をかいている名前が有難う、と礼を述べてもういいと言って止めた。カッターを地面に置いた。私は何てことをしてしまったのだろう、と自己嫌悪に苛まれた。「片翼だけだが、いいのか」中途半端ではないのか、と先ほどまで嫌々やっていたのにも関わらず尋ねた。これでは不完全だ。本人がいいというのであれば、私は構わないのだが。「いいのよ、私は人間だから」わからなかった。ただ、酷く悲しく感じたのは何故だろう。頼んだ名前は何故そんなに悲しそうなのだろう。


私たちは、所詮別々の生き物だった。そう思い知らされたのだ。


それは、片翼の人工的な天使。

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