深海にて情死




甄姫の扱いが悪い
これの続き。


甄になんて言えばいいのかわからなかった。まさか、妾である名前が気になるなど、可笑しな話である。いつもあいつのもとには留まらない。本気で恋慕の情を抱いてしまうのが怖かったからだ。だから、あいつのもとに通うのは少ない。恐らくそんな私を名前は私が嫌っているとでも思っているのだろう。だが、それは不本意である。二日連続で行ったのはあれが初めてであった。甄は嫉妬するだろうか?私が他の女に目が眩んでしまって思いを馳せているなどと。私は愚かにも恋というものを知らなかった。ただ、美しい女性を好んで選んでいただけだったのだと思う。それが恋でも何でもないと気づいたのは極最近の事である。



名前は歌も踊りもできるわけではない。かといって、武勇や軍師の真似事もできるわけがない。ただの、女だ。それでも引き寄せられるのだ。地球の引力のように強く強く。地面に足が縫い付けられるほどに。あいつのもとに居ては離れられなくなってしまう。だから、名前が起きるよりも早くに起きてさっさと外へ出てしまう。その新鮮な空気を吸っては、吐いて。時折溜息をつく。首を擡げて、今日も進まない竹簡の山々に今日はやめにしようと、外にでた。甄が私のもとに纏わりついてくる。女の色香に惑わされることなく、今日は仕事はやめにした。と言って、一人にしてくれと釘を打つ。いつも、抜け出す時に休む桃の花が咲く場所へ行けば、名前の姿が見えた。小鳥たちに囲まれて歌を歌っていた。澄んだ声に引き寄せられるように私は一歩、また一歩と歩みを進めていく。



鳥たちが一斉に羽ばたいて逃げていったのを見て、名前は不思議そうに首を傾げて漸く振り返った。そして、声も出ないほどに驚いているのか二重のパッチリした瞳に私を閉じ込めた。「そ、曹丕様、いつからそこへいらっしゃったのですか」バツが悪そうな居心地の悪そうなそんな表情と共に畏怖を持ち合わせていた。「なんだ。此処は誰のものでもない、そう怯えるな」鮮やかな桃の花が舞い踊る。「いつもすまなかった」不意に私の唇の箸から漏れ出した言葉はまるで今までの贖罪を懺悔するようであった。「お前の所に行く回数が少ないのはお前に飲み込まれてしまうのが怖かったからだ」飲み込まれる、その表現は正しい。暗がりに足を取られてずぶずぶと泥沼に深みに嵌ってしまう、そんな気がしたのだ。驚きのあまり顔面蒼白にさせ、唇の震えと共に飲み込めなかった言葉が出てきた。「私はただの妾でございます。お戯れが過ぎます、甄姫様もいらっしゃるじゃないですか、」



「今日もお前のもとに行こう。今晩は朝までいてやろう。そして、誰よりも甘美な夢を見させてやろう」そういい、顎を持ち上げ口付けたのは初めての出来事であった。私は今、名前に間違いなく想いを寄せている。それは許されないことなのかも知れない。しかし、事実として此処に残っているのだ。胸は張り裂けそうなほどに痛みを伴い愛おしさでむせ返る程に溢れかえっている。


Title 月にユダ


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