遺書に名前は要らない




「これを見てくれ、何に見える」名前が神妙な顔で見せる書簡を王元姫が手に取った。つらつらと達筆な字が眩暈がしそうなほどに長く長く綴られていた。全てに目を通すのには、時間を取られる。何よりも少し見ただけで大方、何かを把握してしまったので、全て目を通す必要はないと判断したようだ。はあ、と軽く溜息をついて、また、それを丁寧に元に戻して返した。「遺書かしら」「デッスヨネー。遺書っすスね、これ。いやぁ、最近、毎日届くんすスね。ちょっとした恐怖だよ。……最初さぁ、この字にちょっと見覚えがあるなぁーとは思っていたんだけど、誰かなぁ……って。まあ、少し考えたら、こんなこと書くのはあの人くらいだけどね」例のあの顔色の悪い、触られると生気が奪われそうなあの人っすよ。毎日毎日飽きもせずに同じような内容を綴って、可哀想な兵を使いぱっしっている。ってすっかりと顔色を悪くした。



「……なんか同情しちゃう、わね……。貴女にも、その兵にも」「重いよ。何で私が、遺書なんてぇものを受け取らにゃならないんだ。恋文を受け取ったことはあれど、遺言とか遺書とか正直、生まれて初めての経験で新鮮だよ。忘れようにも忘れられない……一刻も早く忘れたいし、無かったことにしたいのに」遠い目で大きな樹木に止まる、小鳥を眺めて深いため息を零した。確かに、恋文ならば受け取ったという事はよく聞く。しかし、親しくもなんともない相手から、遺言を受け取るなど初めて聞いたし、恐らく郭淮くらいしかやらないだろう。王元姫もこの悩みには相手も何を考えているのやらと腕を組み考え込むような仕草をした。対策を、解決策を提示してやりたいのは山々だが、郭淮に直接、注意するのは些か気が引ける。



「いやぁ。でも印象には残るね」貴女に看取っていただきたいとか、貴女への形見がどうだとか、よくもまぁ、そんなネガティブな方向の言葉をポンポン沢山、思いつくものだ。語彙が豊かなのだろうか(その分厄介でもあるけれど)。そして、今にも力尽きそうな貧弱な体であんなしっかりとした文体で書き綴れるものだと呆れもした。しっかりと療養していてほしいのに、無駄な所で労力を使うなと名前は声に出していいたかった。「安静にしていてほしいね、全く、心配させられる側の身にもなってほしいよ」「そう、ね」



ああ、どうやらわたくしの恋文は、ただの遺言にしか見えないらしい。恥を忍んで親しい物にも見せては見たけれどやはり、変哲のない遺言にしか見えぬと申された。だけど、今日、回廊で偶然聞いた会話でわたくしは少しだけ、恋文でなくてもよかったのかもしれないなと思った。名前殿はおっしゃってくださった。私に安静にしていてほしいと、心配していると。それから、これが一番大事な所である、私は死ぬまで生涯忘れないと思う。「……印象に残る、忘れられない、か」このわたくしの言葉が、真の思いが名前殿の中で永劫に生き続けられるのならば、わたくしはこれからも遺言と呼ばれる恋文をしたため続けようと思う。



しかし、どれだけ、否定を繰り返そうとも事実なのだ、わたくしの最後の幕引きは貴女でなければ出来ないのだ。貴女にさようならの涙を流していただきたい、それからわたくしの骨と皮だけのような質の悪い手を握りしめながらただ、愛していると言っていただければわたくしの心はそれだけで満ち足りて、浄化されていくのだ。残すものは、そうだ、愛だけでいい。わたくしは矢張り、貴女に看取ってほしいのだ。けほけほっ、と今まで耳を澄ませて我慢していた咳を数度して、わたくしはその場を去った。今度は、何て書こう。何と書いて名前殿の心を揺さぶろう。



ぽたぽた、墨が書籍に黒く丸い染みを作っていった。ああ、いかんいかん。これでは彼女には出せない。いつも思うのだ、これがわたくしの最後に成るかもしれないと。丁寧に一文字一文字書いているつもりだ。だからこんな出来損ないのものが最後に成るのは嫌なのだ。いつも全力の恋文を贈りたい。わたくしは失敗したそれを投げ捨てて新しいものを用意する。震える指を筆に絡めて、思いの丈を綴る。わたくしは、貴女を愛しているので、貴女以外に看取ってほしくありません。貴女に、看取っていただきたいのです。貴女からの返事をお待ちしております。名前などはいつも残さない。わたくしは、ただ、名前殿の返事を首を長くして待っているだけだ。ああ、貴女から快諾していただきたい。ああ、貴女の手はさぞ柔らかろう。


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