色彩消滅




名前殿は女性だというのに随分と武芸に長けていた。よく戦場を栗色の馬と共に駆け抜けては颯爽と窮地に陥る味方を助けている。私もその例外ではなく、先の戦でも命を名前殿に拾ってもらったようなものであった。名前殿はきっと恐ろしい物などないのだろう、いつもへらへら敵にも味方にも底の見えないような笑みを浮かべて獲物を抱えている。「ははは、諸葛誕殿は真面目だなぁ。私とて怖い物の一つや二つあるぞ」「聞いても構いませんか?」「ああ、勿論だとも。そうだなぁ、まずは母上だな」柔和な顔をしているくせに怒ると、その時ばかりは鬼の様でな。頭に角でも生えているのではと思ってしまうのだと笑って見せた。「さようですか」



「うむ。後はだな、ああ……そうだ、酒だな。酒を飲むと翌日頭が割れるように痛くてな、とても敵わん」酒は大が付くほどに好きなのだがどうにもその辺が恐ろしい、だが一時の快楽に似た酔いが面白くてやめられないのだ。私はどうにも酒に弱いらしい。と未だに笑みを浮かべたままだった。が、それは特別な物ではない、敵も味方も分け隔てなく与えられるものだ。「不服そうだな。では、とっておきの物を。私が殿方と夫婦の契りをかわせるかとかも、恐ろしく思うぞ」私は戦場を駆け、戦場で散るであろうから。烏滸がましいにも程があるかもしれない。否、このような女を貰う男は物好きに違いないが、これでも母上が心配しているのだ。そもそも、自分がそうなるとは想像もつかんと自嘲気味に言った。「とんでもございません、名前殿でしたら引く手数多です」名前殿の活躍に兵や将は羨望のまなざしを向けている。私とて例外ではない。少なくとも名前殿を好いている人間は此処に一人はいるのだ。「いやいや、世辞は結構だ。世の男性は戦に生きる女よりももっと淑やかで綺麗な者が好きなのだろう。世辞にも私は綺麗とは言い難い。諸葛誕殿はお優しいですな」と謙遜されて思わず諸葛誕殿に惚れてしまいそうになってしまったと冗談交じりに言った。



「……だが、私が最も恐れていることは。喋ったことのどれでもない」ぽつりと独り言のように呟いたがそれは確かに私の耳に入って、鼓膜を震わせた。矢張り名前殿の本心など私のようなものでは聞けないのだ、そう落胆し、私はこの悲しみを悟られぬように名前殿から視線を退けた。名前殿は私のそんな様子を見ているから、わかっているのかもしれない。そっと私を庇うような発言をした。「諸葛誕殿に言うのが、知られるのが嫌なわけではない、ただ……、うむ。そうだな……まだ、その時ではないと判断したからだ。何れ私が真に恐れているものをお答えしよう。では、鍛錬があるので私は失礼致す」土に突き刺していた武器を軽々と手に取って私に一度、儀礼的な挨拶を交わして背を向けた。その時とはいつ来るのだろうか。



戦況は最悪だ。私が訪れた時点で最悪だとしか出てこなかった。それほど劣勢であった。多くの将は撤退を余儀なくされているようである。敵将を睨みつけながら間合いを取る。ああ、もう私も長くは持たないだろうと思ったところでひゅ、と何かが耳たぶをかすめた。「?!」放たれたのは敵の弓矢で、ようやく私が孤立していることに気が付いた。此処で狗死になどよからぬことが頭を支配し始める。私の良くない癖だ。不意に馬の蹄の音が高らかに後方から迫ってきて、私を囲っていた敵を一気に薙ぎ払った。「すまない、遅くなった諸葛誕殿」その声は随分と耳に馴染んでおり、私が愛してやまないものだった。馬から軽やかに降りて汗と血を拭った。「名前殿」「私も孤軍奮闘していてな、これでも全速力で来たのだ。許してほしい」



「貴女という人は、」何度私の危機を助けてくれただろうか。私の中の英雄に等しい。「しかし、戦況は悪いな。いくら薙ぎ払っても気が付いたら囲まれている、諸葛誕殿は自陣に帰られた方がいい」「しかし」「大丈夫だ。そうだ、この戦から帰ったら、私が真に恐れているものを話そう。きっと、驚かれると思うぞ。私が恐れていたものを聞けばな」はははと場違いな笑みを浮かべて、また馬に跨った。「私はこのまま進軍する」そして馬の腹を軽く蹴った。帰ってこられるかもわからないのに、そのようなことを思い出されて口にするのは随分と酷いではないか。



談笑する声がする。盛大な宴が設けられたが、名前殿は私のもとに居ない。今は別の将と話していらっしゃるようだ。随分と盛り上がっているのか、豪快な笑い声がとどろいた。私はちびちびと飲んで馴染めない雰囲気の中息をすいてはいてを繰り返している。「名前殿その辺にされては?お酒は怖いとおっしゃっていたではないですか」普段ならば、自分からはとても話しかけられないのだが今日は違った。いら立ちが先行してその将との間に割って入りたくてわざとだった。こういう所で大胆に成れた自分を少し褒めてやりたくなった。「諸葛誕殿、ああ、いや……むぅ。そうだな、失礼いたす」話をしていた将に別れを告げて、私に向き直る。頬が赤く染まっていて酒がまわっているのはすぐに分かった。



「いやー。お互い無事で何よりだな!あの時は死ぬかと思った」まあ、負傷して次の戦に出られるのはいつかわからないがと悲しげな目をされた。利き手を負傷しなかったのは幸いだが、控えろと言われたようだった。「しかし、戦から離れると何をしてよいかわからんな、」「どうか、お願いですから療養してください」見舞いでしたら私が通いますから。「……話は変わりますが、真に恐れているものとはいったい?」途端にへらへらしていた名前殿からさーっと笑顔が引いて行って口元をひきつらせ、気まずそうに地面に視線を落とした。「!あ、ああ……。いや、あの時は未練を残してしまえば死ねないと思って咄嗟に言ったことで、えー……と、まだ、機は熟していないというか」頬を軽く指先でかいて、困っているようだ。それから、名前殿は増援が来るまで死ぬ気であったことを知った。だが、その答えにはとても気を悪くした。「私などには言えないことですか?」



私のような詰まらない男よりも先ほどの将とのほうが話も弾んでいただろう。きっと、私が疎ましいのだと嘆き始めた所で、名前殿は違うと制した。「逆だ。諸葛誕殿にしか言えない。あーもう、未練を残すのはやめにしよう。……酒は入っているが本心だし、勢いやでたらめではない事をわかってほしい」それから一呼吸おいて今度は真剣なまなざしで私を射抜いた。「……一番恐ろしいのは貴方だ、諸葛誕殿。貴方を前にすると私は平静でいられん。貴方を失うのは、母上よりも酒よりも孤独よりも恐ろしいことだ」


title カカリア


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