速水



速水がお病みになっている。悪口が聞こえる話。


速水君はいつも音楽を聴いている、授業中は流石に先生に怒られるから外しているけれどそれ以外では目に映るたびにいつも、音楽を聴いている。あの何処で買ったのかわからない、お洒落なヘッドフォンを付けてシャカシャカと音漏れさせながら。誰が話しかけても最初は何を言ったのか聞き返される。先生の言葉ですら、聞き返すことが多い。しかし、おどおどした態度はいつも同じなので誰も強く責めようとはしなかった。安らぎなどこの世には存在しないというような顔をしながら、別に誰も取って食いやしないのにいつも、か弱い草食動物のように震えている。それがいつも気にかかっており思い切って速水君に、教室で聞いてみた。「なんでいつもヘッドフォンを付けているの?」と。自分ではそこそこ自然な切り出しだと思っていたのだが、案の定、速水君には聞こえていなかったのだろう?「へ、ぇ?」とおどおどしながら聞き返すような声を出しながらヘッドフォンを首にかけて私の言葉に耳をすませた。暗にもう一度お願いしますと言っていたのでもう丁寧にも一度言ってあげた。



「なんでいつもヘッドフォンを付けているのって聞いたの」速水君が自嘲するような周りを見下すような入り混じった、病んだ人独特の濡れた底の見えない瞳に私を映しながら呟いた。それは傍から見れば一人ごとのような、静かな怒りや怯えを含んだ声だった。「……、悪口が聞こえるからですよ俺の。毎日毎日、だからヘッドフォンをして音楽で掻き消しているんです。苗字さんもそうですよ、貴女も俺の事を悪く思っているでしょう。気持ち悪いとか、根暗とか、いつも、いつもいつもいつも」聞こえた限り、一つもいい事なんか話していなかった私は慌てて否定したがそれも引き攣った声に成った。「ひっ、そ、そんなこと」逃げ出そうとしたときははっと、速水君が複雑な顔で笑った。私はそれに足を取られた。接着剤で固定されたように動けなかったのだ。私は全く何処も面白くもなんとも思っていないし面白いと思える要素も無いに、速水君は少々頭のねじが外れていて可笑しいらしい。笑っている。「ヘッドフォンをすると、声が聞こえないんです。皆俺が嫌いなんです、だから、こそこそこそこそと」それは恨み言にも似た誰かに宛てるわけでもない呟きだった、先ほどよりも更に暗い色を混ぜ合わせた絵の具のような色合いの歪んだ瞳はぐにゃり、狂気が孕んでいた。本能が叫んだ、この人はやばいと。私は咄嗟に後ずさり転びそうになりながらも逃げ出したが、予想に反して速水君は追いかけてこなかったのでほっとした。速水君は足が速いので、すぐに追いつかれてしまうだろうと懸念していたのだった。



翌日に速水君に教室内で、呼び止められた。いつもは耳に宛てられて外部とは遮断されているのに珍しくヘッドフォンを首にかけていて、いつでも誰かの声を拾える状態になっていた。昨日のことを思い出して、また何かの呪詛を吐きかけられんじゃないかと身構えたが予想外にも電波な事は一切、言われずに逆に速水君に謝られた。必死の様子だった何度も頭を小さく下げる。昨日とは打って変わって、いつものおどおどに戻っており瞳は私と合わせようともしなかった。「ごめんなさい、俺、本当に昨日どうかしていました。忘れてください、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、苗字さんに嫌われたくないんです、苗字さんは嫌いじゃないんです、なんであんなこと言ったんだろう、ああ、ごめんなさい。死んでしまいたい、」昨日のあれはどうかしていたんです、ごめんなさいと、ずーっと昨日の頭のおかしそうな妄想を、打ち消すように謝り続けた。呼び鈴がなるまでそれが続いて余計に不気味で速水君の頭の中が気になった。なんでみんなから悪口を言われていると彼は思いこんでいるのだろう。彼の想像以上に彼は注目を浴びていないし、彼の悪口なんか聞いたことはない。もっともあの態度からからかいやすいのは否めないので、たまにからかわれているけれどそれ以上の事は無かった。何より雷門の一軍だから。誰も本当の意味で彼を嫌ってなんかいなかった。つまり彼の言っていることは全て架空の出来事で、虚偽である。



今日もシャカシャカ音を響かせている。窓際で換気のために開けている大きな窓から入り込む風に煽られ黄昏るように、死んだ真っ黒い瞳で空に大きな穴でもあけるように見つめ続けている。思いも電波も飛ばすことはない無害な存在に戻っている。教室とつりあいを取ろうと必死になる姿も何度も見かけた。事実彼はうまい事溶け込んでいる。あまたのおかしい事も誰にも悟られずにだ。……あれから、私は一度も速水君に関わっていないし速水君も私に関わらない(若しかしたら関わりたくないのかも)。速水君は誰かに嫌われることそのものを強く本能的に恐れていて、あの日私に変な事を言って嫌われてしまったと思って謝ってきたのだ。だから、私を好きとかそういう意味であんなことを言ってきたわけではなかったのだと、私はちゃんと知っていた。何故ならば速水君はあの日言っていたように「私からの悪口も聞こえる」と言っていたから、私が悪意を持って速水君に接していると彼は思っていたからだ。何もかもが、速水君にとって悪意なのならば彼にとって救いとはなんなのだろう。ちょっとした好奇心が速水君と言う人物を殺した。夕暮れが町と狂人を飲み込んでいった。大きくオレンジ色、口をあけて笑っている。



色は狂人を飲み込む


  


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