松風



!ある意味病的。救いはあります。

あたかも皆が皆、目的のあるように歩いてゆく。同じような感情の薄い瞳、言いようの無い不安を覚えるそれら。言葉は無い。足を引き摺るように歩いて、人にぶつからないように気をつけて。顔を上げれば、人工物が目に入る。目に痛いほど光を反射した大きなそれにクラ、と眩暈がした。暑い。人ごみが嫌いだった。暑いし、邪魔だし。いつか、自分もあれらに組み込まれ一員になるかと思うと憂鬱だった。早く家に帰りたかったし、此処にはもういたくない。とても、不安になるのだ。苦しいほどの動悸とぼんやりとした漠然とした不安、いいようのない恐怖。誰かにこのことを話してもきょとんとした私を頭の可笑しい人を見るような目で「疲れているんだよ」といわれるだけだろう。
「名前?」



誰かの声がした気がした。気のせいだ、と。また足を引きずり出す。雑踏にもみ消されてしまえばいいものを。また、聞こえた。人違いだ、といいたかったけれど声にとても、聞き覚えがあった。多分、人違いなんかじゃない。
「名前でしょ?奇遇だね」
……三度目の声に踏み出しかけた足を止めた。人が私を避けだす。横をすり抜けていく。私はそこに居ないのだと錯覚する。まるで、私の存在を無視したように周りは避けていくから。無言で、無表情で。



「……ああ。天馬、か……」
軽く会釈をすると私の隣に、まばらな人ごみをすり抜けてやってきた。私の顔をまじまじと見るなりいきなり「名前、体調でも悪いの?真っ青だよ」とかいいだした。気分があまりよくない、と言われれば頷くが……体調が悪いのかといわれればそうでもない。激しい動悸は家に帰ればだって治まるのだから。言いようの無い不安、なんて喋ってしまえば心配かけてしまうだろう。とりあえず、この微妙な空気を切り崩すために首を横に振った。
「今、帰ろうと思っていたところなんだ」



薄っすらと口を開けて、同級生に浮かべる笑みを。視線を天馬の顔から少しだけ下げると、サッカーボールに目が留まった。土のせいか薄汚れている。相変わらず天馬はとてもサッカーが好きらしい。私は特に好きなものもないから……好きなものに打ち込める人がとても羨ましいし純粋に素敵だな、と思える。
「俺も練習終わったから、一緒に帰ろう?」
「……へ。あー……そうだね」
予測できたはずの言葉を避けきれずに、まともにストレートで食らってしまって面食らった。また、ゆっくりと歩み始めると天馬も歩き出す。大きく伸びた黒い影、空が群青に染まる。



「やっぱりさ、名前何かあったよね?」
「……何で?」
不安。一言で言えばそれしかないのに、何か押しつぶされそうなほど苦しい。遠巻きに見ているような傍観しているような、人々の流れを愛しむでもなくて。
「なんか、うまくいえないけどさ……なんとかなるさ!大丈夫!」
なんだ、それ。って思ったけど、笑っている自分に気がついた。安定剤でも、魔法でもない。天馬の軽いそれに救われたのか。
「あはは、そっか。そうだよね。ありがと」
ポッカリと空いた空洞が暖かい何かで、塞がった。隠れるように人々の流れに紛れ込んだ。



ガの風穴

  


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