箱庭本編 | ナノ




 ぼくらはいつだって傷だらけ


「………ヤス?」
「え」
「なあ、ヤスだろ?ちがうか?アストルの、ふくそーちょーの、」
「嫌だなあ、ダイコーニンさん!俺は今年入学した者ですよん!」
「ちがうちがうちがうちがうちがうちがう!!!ヤスだ、ヤスはおれをトーヤって、よぶんだよ!」

豹変した生き物に悲鳴を上げた八尋の頭を抱き寄せる。

「ごめんね、ヒロやん。ちょこっとだけ我慢して?」
「わ、分かった…!」

泣きそうに眉を下げた顔は、二年でこうも変わるのかと思い至り、笑う。可愛らしい容姿をこうも男らしく成長させた事に驚きはしたが、

「なあ、そうだっていえよ…!」

嬉しいなんて思う事は無かったのだ。
(ただ、煩わしいと)

(可哀想だと)
(心にも無い事を)
(金色に感じたのだ)

「あは、ダイコーニンさんってば、鬱陶しいねえ。その『ヤス』って人に捨てられたんだ?嫌われたの?何かしちゃったの?

―――……ああ、お前みたいな人だったら、捨てられるのは当たり前かあ」


俺に、なんて言葉だけは飲み込んで嘲笑う。固執なんて醜い生き物がする事だ。疑心暗鬼になってしまった所に優しく微笑みかけて、少しずつ絆す。

こんなものかと失望にも似た感情を抱いたのを思い出す。死んだ母親が語るに語った貴族の生き残り。そんな男は今、こうも自分を欲しているのだ。

「やっぱり、犬も猫もイイよねえ」
「…やす、たか?」

声色に熱が入る。これが悦だ。昔からこうだったのを思い出し、康貴は目の前で頭を掻き毟るように蹲る男の前に立った。

―――ストン、と。八尋を地に下ろし、上げた右手を男の目に翳す。

「トーヤ、おやすみの時間だよ」

地に伏せようと傾く身体を受け止めて、振り返った先には初めての友人。大きな身体をベットに横たわらせるが、八尋は戸惑いの色をチラチラと見せてたので、康貴は誤魔化すように笑って手を伸ばす。

「犬の犬が来る前に逃げよっか、ヒロやんっ!」
「ちょっと、待ってくれよ!訳分かんないって!し、知り合いなのか、この人と…」
「んむむ、TRONOの幹部だよー。昔は可愛かったのに雄臭くなったよねえ」

最早他人事の域で話始めた康貴に唖然としてしまった。それに気付いたのか、王室内を眺めながら「道聞くの忘れちった」と呟く彼に何も言えない。

「表に居るのは親衛隊かなあ?うっぜ、マジでぶっ殺してやりてえなあ」

穏やかな声は殺意に染まる。コロコロと表情では無く声色を変えた康貴は、開いたままの扉を覗き込んできたガチムチ男子を押し退けて再度八尋を抱き抱えた。

「地図頂きまーした!ヒロやん道案内!!」
「りょ、了解!」
「あ、アレス様!!どうなされたのですか、我が主よ!」

そこから走り出しては、決して捕まえる事の出来ない鬼ごっこの始まりである。







「「天照行くの忘れとった」」

顔を見合わせて声を揃えた双子は不満げに舌打ちをする。一方は仕事をサボってしまった事に対してだが、もう一方は余計な事を思い出したと言いたげな表情だ。

中央校舎外れの中庭にて。時計塔に繋がる螺旋階段の隣、生徒会執務室直行のエレベーターに乗り込みながらもどうしようかと首を傾げる。副会長である斑鳩要に頼まれた仕事をこなす事が出来ずに青褪めていく顔。

まるでこの世の終わりのようだ。

「ど、どないしよう…!翡翠の君ってただでさえ俺を目の仇にしてんのに、あかん、死ぬ…!」
「そもそも此処で寝とった雫が悪いんちゃうのー?」
「ンな訳あるか!!式典までは寝てていい筈やったし…っ!」

くわっと目を見開く雫に対し、自分のものでは無い携帯を弄りながらゲームをする双獅。暫く悩んだらしい雫は、双獅の手の中にあった携帯を奪っては立ち上がる。

「取り敢えず、着替えに行かなあかんな」
「正装とかかなりメンドーやけど」
「双獅ならやれる」
「はいはい、お兄様の言う通り〜」

最早ふざけているとしか思えない双獅の態度には慣れたものだ。「自分はどないするん?挨拶とか」その言葉に雫は、アクアマリンの宝石を埋め込んだような双眸を瞬かせて、呟く。

「シュンさんとこ、行くわ」
「は、紅の君のとこ?何でなん?」
「君名持ち―――君子様の挨拶とかの書類渡したいし。俺が文章書いたんやから、ちゃんと読んでもらわなな」
「去年もやなかったっけ、それ」
「半泣きやったな、あれは」

うんうんと同じ顔が頷く。それから、目的の階に下りた雫は、未だにエレベーターに乗っている双獅の頭を撫でた。

「翡翠の君に宜しく頼んだ」
「つまりお兄様は俺に死ね言うてんやな」
「仲間にそんな事せんやろ」
「…どうだか。代行人様はおっそろしい人やからな」

一歩下がって手を振る。

「今年の君子で風紀取締役会が決まるらしいけどな」
「は、何それ聞いてへん!」
「会長の独断、らしいで?外部生両者が外部入学テスト満点の成績らしいわ」
「ちょ、双獅それ詳しく!」
「あはは、ばいばーい」

伸ばした手をパチンと弾かれ、ピンクゴールドを細めた男は呟いた。

「―――助けたるからな、雫」

神の元に存在する己ならば助けられるだろう。皇帝の犬に成り下がってしまった片割れを。守るべき存在を。

(要らないなら、返してくれ)

奪わないで欲しいのだ。もう二度と。





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