箱庭本編 | ナノ




 時と場合と君によります


床に擦り続けた額が悲鳴を上げている。思わず髪と同色になっているであろう額を撫でながら台所に消えた背中を見つめていれば、隣にしゃがみ込んだ黒が可笑しそうに笑った。そりゃあもう、プークスクスと言わんばかりに。

華奢な指先が少しだけ赤くなった額をツンとつつく。それは遠い記憶にも存在した、柔らかな『慰め』だった。

「―――…オニ、ダーリンを怒らせちゃ駄目だろーが」
「……」
「お前はいい子なんだから、大人しく鳴いてなさい」

へらりと小馬鹿にしたように笑う男に痺れ始めた足を崩しながら頷けば、その白い指が紅色に染まった髪を掬った。二人しか視界に入れていなかった竣が八尋の存在を認識する頃には、美樹が僅かな笑顔と諦めを混ぜた表情を浮かべながら炒飯を持って来た頃である。

「………邪魔したか」
「まさかの展開に俺はっ…俺はああああああ!!!」

ガクリと膝を着く八尋に目を瞬かせて、目の前に置かれた炒飯に喉が鳴り、撫でられた頭からじんわりと広がる温もりに笑みが浮かぶ。それを見て、嬉しそうに笑うのは一体誰だろうか。

「ヤスはコーラ、俺は緑茶。オニはミルクティー。八尋は?」
「俺もコーラ!」
「了解した」

眼鏡を掛け直して美樹は食器が並べられている棚を見て眉を寄せる。どうやら部屋の主は掃除を怠っているらしい。昔から掃除なんて意味が無いと豪語しながらも無理矢理片付けさせれば破壊音しかしなかった故の事だ。

気にもならないから言える事だが。

「オニ、スポンジはあるか?」
「その戸棚にありますよ」
「ん、……ああ、あった」

鼻の頭まで下がった眼鏡を押し上げながら脱ぎ去ったブレザーを八尋に預けて、埃を被り始めているコップを濯ぐ。黄色いスポンジには真新しい洗剤。香るベリーローズに眉を寄せながら輝きを失ったそれを撫でた。

身長182cmの男子高生がシンクに向かう姿をデジカメに収めながらも、八尋はいつの間にか美樹が洗い終えたコップに甲斐甲斐しく各自の飲み物を注ぐ竣を見る。―――そして泣いた。

「紅の君がわんこ攻めだったとか!!!俺は夢でも見てんのかな!?康貴殴って!」
「マゾを虐めるとか嫌!」

うふふ、あははと笑い合う光景は些か目に毒だ。暑苦しい程に伸びた髪を軽く後ろで纏めながらも、隣でガチャガチャと家事をこなす人を見る。

先程まで嫌悪に満ちた双眸も姿を消して、美樹は淡々と目の前の作業に集中しているように見えた。微かな関心さえ一瞬にして無くしてしまう。それでこそ貴方だと、竣は懐かしさに緩みきった口許を隠さずにシンクに腰を凭れ掛けさせた。

「そーちょー」
「何だ」
「何で突然引退なんかしようとしたんですか」
「受験が近かったからな」
「………は?」
「だから、受験だよ。うちの私立校は二年の時点で受験校に見合った授業をしなければいけなくてな。集会には参加出来なくなると思ったから」

口から流れ出るように紡がれた言葉に思わず視線下にある美樹の頭を凝視。そして思わず「それだけで、ですか?」と震えた声が問い掛けてしまい、揺れた黒髪が此方を見上げ、歪んだ口端が見えた。

「それだけでだ。…お分かり?」
『お前達は所詮二番目だよ。…お分かり?』

小首を傾げ、見上げる姿がいつかと重なり喉が悲鳴を上げる。ふざけた口調に弧を描く口許、笑ってもいない黒い双眸。どれが彼の本音なのだろうと思いながらも、ただ頷いた。

理解出来なくても、理解しなくてはならない。叩き込まれたそれは背筋を這い上がるように脳に命令を下して霧散していく。頷けば捨てられないのだ。傍に存在出来るのだ。

―――犬は勘が良い。だからこそ己の行動を何手先も読んで行動を起こすのだ。

『オニみたいな勘が良すぎる犬にいつか噛まれそうで俺怖いなあ』

ケラケラと笑う声が聞こえたのは何処からだろう。




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