箱庭本編 | ナノ




 ところで貴方はどなた


冷えた美樹の声にそそくさと姿を消した薊を八尋はぼんやりと見送った。『お前には呆れしか覚えないな、薊』八尋の前に立って喋る美樹を思い出しながらも、纏う空気が漸く元の柔らかさに戻るのを待つ。

「むふ、あいつマジうっぜーの!サラリーマンなら減給だぜ?上司にあの目はペケだっつの!」
「クビにして吊してシメたい」
「ヨシがやったら死んじゃうから駄目ですよん」
「………ちょっとだけ」
「いーけーまーせーんー!怒っちゃうよ?」
「……」

最初に会った時のような軽快な遣り取りに少しだけ詰めていた息を吐き出した。自身より一回り近くは大きい二人の背中を眺めながらただ、良かったとよく分からない安堵を覚えたのは八尋だけの秘密である。

矢継ぎ早に伝えられた部屋番号を覚え、二人にそろそろ行かないかと言えば賛同の声が上がる。幼稚園児を引率する大人の気分を一瞬だけ味わった気がした八尋であった。

「―――そこの黒髪三人衆!止まりやがれ!!」

然し、不意に寮内の廊下に響いた声に美樹達は振り返る。鬢(びん)を中心に所々黒く染めた紅髪の男が駆けて来るのを他人事のように眺めながら息を吐き、美樹は眼鏡のブリッジを押し上げた。

男の手には、先程那由多から手渡されたIDカードが握られている。いの一番にその存在に気付いた康貴が隣で目を丸く見開いている八尋に「俺のカードじゃね?」と聞いた。―――康貴の言葉に懐を探ればカードが無くなっている事に気付き、八尋は顔を青くさせる。

どうやら康貴のカードのようだ。

「すみませーん!こいつが落としたみたいなんで!」
「あ?でもそいつは黛八尋だろーが。こっちに書いてんのは『YASUTAKA SASATSUKA』だぞ」
「おっちょこちょいプレイボーイな俺の代わりに持ってくれてたんですよ!『SASATSUKA』は俺なんで!!」
「ふーん…」

キランと眼鏡を反射させて笑えば、赤色のカードを手にしたまま男はまじまじと康貴を見た。八尋は微かな黄色い悲鳴、もとい萌えの叫びを上げながら美樹のブレザーの緩められたままのベルトを引っ張る。

「俺様×平凡萌ええええええ!!!ハァハァ、分かるか美樹!?あれが萌えだ!世に渡る為には一度だけでも目にしなければいけない光景なん、んぎゅっ」
「俺の幼なじみで妄想はやめようか」
「んぐ、むむむむ…!」

何故此処に紅の髪の男が居るのかなんて八尋の中では些細な事でしか無かった。周りから刺さる視線もどうでも良くて、ただ萌えを見つめる事に必死で周りの音が一切耳に入ってこない。

―――暴走機関車(萌え駅まで直行)に乗ったきり帰って来ない八尋に痺れを切らした美樹が、右手で両頬を掴んだ事で事態は収拾を見せ始める。親指とその他四本の指で頬を掴まれ唇が突き出る形になった八尋は、唸りながら美樹を見上げた。

「むううううう……っ!」
「ヤス、まだ?」
「ちょい待ちー!……先輩、返して貰えません?」

ざわめく辺りを無視して康貴は笑う。吊り上がる口端に見えた犬歯。先輩と呼ばれた男は一瞬だけ動きを止めてから、己よりも小さい男三人組を見下ろしながらカードを手渡した。

「…今時間は有るか?」
「無いですね!」
「……」
「紅様からのお誘いを断ってる…!」
「何様だよあのミディアム眼鏡!!」
「隣のひょろい眼鏡なんて無視してるし!」

ひょろい眼鏡って俺の事だろうか。思わず首を傾げながら美樹は小さな美少年軍団に視線を移す。康貴と対峙しているやけに見覚えのある男に然して興味が無い美樹は深く息を吐き出してから八尋から借りていた小説を開いた。

然し、康貴をミディアム眼鏡と言った少年を横目に少しだけ美樹は肩を震わせる。ナイス命名。美樹よりも大きい訳でも無く、八尋より小さくない康貴だからこそのあだ名だと思いながらも活字を読み始めた。

「『アストル』を敵に回すつもりか?」

ざわつく、ざわめく。何て騒々しい。目立つのは嫌いだ。八尋は、大丈夫だろうか。窺うように隣を見れば、周りの視線を撥(は)ね退けるように気丈に振る舞い笑っている。口に出されたその名は既に捨てたものなのに、未だに付きまとわれるのか。

活字に視線を寄越したまま、康貴の隣に立つ。言葉を選ぶのは苦手だ。だからこそ美樹は、素直に口にした言葉で辺りが騒然する事を想像してもいない。―――それが、彼にとっての普通なのだから。

「百目鬼先輩、人気が少なく目立たない場所はありますか?」
「、…ああ、俺の部屋かお前等三人の部屋のどれかだな」
「では、貴方の部屋へ案内して下さい」

ふてぶてしさも感じ取れない程に淡々と紡がれた言葉に百目鬼先輩もとい竣は少し緩く笑みを浮かべた。

『はい、分かりました!そーちょー!』

二年越しの再会は白昼堂々と、然しひっそりと行われる事になる。




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