カチリと変わる時間帯に「もうこんな時間になったのか」と溜め息を吐いた男はいつもならその端正な唇に弧を描いていた筈なのに、今はそれさえも見当たらない。ガシャンと腰に収めていた刀が音を鳴らすが、それさえも気にした様子も見せずに男は歩み始めた。見上げた宵闇に「月はまだ出てこないなあ」とひとりでに呟く。

血まみれになってしまった薄汚れたマント。鼻を衝くキツい鉄のニオイにも慣れてしまった己をさして気にした様子も無く、男の手は地に落ちたままの時計を回収していく。「今からなら三回時間帯が変わったら着けば良しだな」うんと頷いた男は目許を覆っていた道化の仮面を片手で外して笑った。

今日初めて浮かべた男の笑顔は形容し難いそれで、何とも薄気味悪い。辺りをキョロキョロと見渡した男は、先程までの重苦しい空気を柔らかいものへと変えて暗い森の中をただ一人で歩く。「あ、どうしよう。アリスと約束してたんだった」思い出したように喉を通って吐き出した言葉に男の口許は柔らかく三日月を作った。しかしそれは男も気付かない無意識のそれだったのだろう。スンスンと鼻を鳴らして慣れてしまった血のニオイに困ってもいないのに「困った。これじゃあ、アリスにもユリウスにも怒られるや」と笑う。

右に左に一度悩んでまた左。自信有りと言った様子で森を練り歩く男はこの国一番の方向音痴だった。空を見上げれば、先程まで月が上がり始めていた筈なのに代わりとでも言いたげに太陽が空の中心で輝いている。

「あ、昼じゃないか」気まぐれに変わる時間帯が男にとって日常だとしても、彼がアリスと呼んだ少女はこの空を見てげんなりしているのだと考えるだけで男はまたひとりでに笑うのだ。サクリと土を踏みしめて、奇跡的に辿り着いた見慣れた広場に男は被っていたマントを下ろして「ふう、」とひと仕事終えたとでも言いたげに頭を掻く。

目の前には唯一の友人とでも言える時計塔の主人が住まう時計塔。生粋の引きこもりでもある彼に何か土産でも与えようかと男は辺りを見渡し、役無しと呼ばれた口許から上が全く無い者達が構える店に視線をやった。役持ちである男の視線に気付いたらしい役無し達は男を見て「エース様!」「此方はどうですかエース様!」と口々に話し出す。

エース様と呼ばれた男はヒラリと血に濡れた手を振って役無し達の店へと歩き出したが、つい、とやった視線の先で水色と白のエプロンドレスを揺らめかす余所者と謳われる少女を見つけて「どうしようかなあ」と爽やかに笑った。役無し達はそんな男の視線の先に居た少女に「アリス様!」と笑みを作り、直ぐ近くに居た白兎の宰相に殺されてしまうのだが、まあ、男はそれさえもどうでもいいのだ。

「手伝いが増えるだけだもんな」と納得したように頷いた男は土産を買う事も忘れて歩き出す。長い長い階段を上らなければいけない事に渋りながらも、引きこもりの友人の手助けが出来てる自分が酷く好きなのだ。

「ユリウス!時計持ってきたけど」
「そこに置いといてくれ」

脳裏に浮かんだ友人との掛け合いも既に日常だ。変わり映えしない、男───ハートの国の騎士と言う称号を持つエースの日常である。


byハートの国のアリス

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